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東京地方裁判所 平成2年(刑わ)1696号 判決

主文

一  被告人甲を懲役二年及び罰金七〇〇〇万円に処する。

未決拘留日数中六〇日を右懲役刑に算入する。

右罰金を完納することができないときは、金四〇万円を一日に換算した期間右被告人を労役場に留置する。

この裁判が確定した日から四年間右懲役刑の執行を猶予する。

右被告人に対する本件公訴事実中、業務上横領の点は、いずれも無罪。

訴訟費用中、証人Aに支給した分の二分の一は、右被告人の負担とする。

二  被告人乙は無罪。

理由

第一部  被告人甲に対する所得税法違反被告事件

(罪となるべき事実)

被告人甲(以下、第一部においては、単に「被告人」と表示する)は、千葉県柏市永楽台〈番地略〉に居住し、営利の目的で継続的に有価証券を売買していたものであるが、自己の所得税を免れようと考え、有価証券売買を他人名義で行うなどの方法により所得を秘匿した上、昭和六二年分の実際総所得金額が六億一一六一万五七九八円であった(別紙1の修正損益計算書参照)にもかかわらず、昭和六三年三月一五日、同市あけぼの二丁目一番三〇号所在の所轄柏税務署において、同税務署長に対し、昭和六二年分の総所得金額が一一三五万六九九六円で、これに対する所得税額は、既に源泉徴収された税額を控除すると、五六万八六〇〇円の還付を受けることとなるという虚偽の内容の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定の納期限を経過させ、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額三億五六〇〇万一三〇〇円と右の還付税額との合計額三億五六五六万九九〇〇円(別紙2のほ脱税額計算書参照)を免れた。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

一  罰条 所得税法二三八条一項(罰金刑の寡額については、刑法六条、一〇条により、平成三年法律第三一号による改正前の罰金等臨時措置法二条一項による)、二項(情状による)。

二  刑種の選択 懲役刑と罰金刑を併科。

三  未決拘留日数の算入 刑法二一条。

四  労役場拘留 刑法一八条。

五  懲役刑の執行猶予 刑法二五条一項。

六  訴訟費用の一部負担 刑事訴訟法一八一条一項本文。

(量刑の理由)

本件は、株式会社國際航業の取締役経理部長であった被告人が、株式の売買をするに当たり、他人の名義を用い、特に自社株についてはXの買占めにより確実に値上りするという情報を入手して継続的に大量の取引を行い、他の株式取引と合わせた有価証券売買益やりベート収入等の雑収入の合計だけでも五億円近い利益をあげながら、これを全く申告せず、所得税の還付請求までして、三億五六〇〇万円余りの所得税を脱税したという事案である(なお、弁護人は、いわゆる「甲・B・C財テク取引」、「甲・B・C共同取引」、「甲・B・D共同取引」及び「甲・C共同取引」にかかる各所得は、いずれも被告人が他の者と共同取引をして得た有価証券売買益ではなく、雑収入たる謝礼金である旨主張するが、関係各証拠を総合すると、右各取引によって同被告人が得た所得には、いわゆるX問題が絡んでおり複合的な意味合いがあるとはいえ、その法的性質は検察官主張のとおり有価証券株式売買益であると認めるのが相当であり、弁護人の主張は採用できない)。本件のほ脱税額は単年度としては右のように高額であり、そのほ脱率も約99.4パーセントと極めて高率である。また、被告人は、税理士資格を有し違法性の意識を充分持ち得たにもかかわらず本件犯行を敢行した上、査察後に他人に申告させようとするなどの犯行隠蔽の工作までしているのである。これらの事情にかんがみると、被告人は懲役刑について実刑を免れがたいとも考えられる。

しかし、ほ脱所得の大部分を占めるDから分配を受けた「甲・B・D共同取引」による株式売買益並びにCから分配を受けた「甲・B・C財テク取引」及び「甲・B・C共同取引」による株式売買益についは、被告人はいったんはこれらの者に返還を申し出たが断わられたため、これらの金員を有価証券の形に変えたものの、X側に属するD、Bらとは敵対関係になったことからその返還を迫られるなどの事態もありうると考え、その有価証券を貸金庫に保管し何時でも返還できる状態にしておいたものと認められる。したがって、これらの株式売買益も被告人の所得に帰属したとはいえるが、その帰属性には不安定要素が伴っており、この所得については、被告人が納税する気にならなかったのも若干無理からぬ面があると思われる。さらに、右の所得の形成過程についも、前者は、当時XやDと袂を分って國際航業において防戦買いを推し進めていた被告人を懐柔するための資金という性格を帯びていたことが明らかであり(甲・B・D共同取引とはいうものの、その資金の大半は、Xからの援助を仰いだものであり、それにもかかわらず、売買益の三分の一が被告人に交付されている)、後者も、CがXと内通したBの直属の部下であり、その分配の時期が前者のそれと相前後することからすれば、同様の性質を持っていたのではないかとの疑いを否定できない。このように、本件所得の大部分を占める収入が、その受領時点では被告人にとって必ずしも望ましいものではなくなっていたのであり、これらを受領した点に落ち度があるとはいえ、被告人は、後にこの受領の事実を種にして、X側の代理人のEに脅迫されたり、内外タイムスに暴露記事を掲載されるなどの追及を受けていることが明らかである。このような事情も、被告人のため有利に斟酌し得なくはないと考えられる。

そして、被告人は、本件の起訴前に国税局の指導に従って修正申告をし、既に本税と延滞税を完納し、重加算税についても、国税局に差し押さえられている不動産によりかなりの納付が見込める上、被告人自ら納税に努力しており、本件に対する反省の態度も明らかである。また、被告人には前科前歴がなく、これまで國際航業の取締役経理部長として同社の発展に多大の貢献をしてきたものであり、特に、X問題については、当初一時Xに心を寄せたものの、その後は國際航業のために懸命になってX側と対峙し、その攻勢をしのいできたものであるところ、本件により相当期間身柄を拘束された上、本件の発覚を端緒として、業務上横領による訴追を受けるに至り、同社の関連会社の取締役等の地位を追われるなど、既に相当の社会的制裁を受けている。

右のような被告人のために酌むべき諸事情を考慮すると、前記のようなほ脱税額の大きさ等の本件の犯情にもかかわらず、被告人に対しては、今回に限り懲役刑の執行を猶予するのが相当と思料される。そこで、その他一切の情状を総合して、主文の懲役刑(執行猶予付き)と罰金刑を併科することとした次第である。

第二部  被告人両名に対する業務上横領被告事件

一  本件公訴事実の要旨

被告人甲は、昭和五九年六月二九日から昭和六三年五月一一日までの間國際航業株式会社(以下「國際航業」という)の取締役経理部長として、被告人乙は、昭和六〇年四月一日から昭和六三年一二月一六日までの間同社の経理部次長として、いずれも同社の資金の調達運用、金銭の出納保管等の業務に従事していたものである。

1  (平成二年七月二五日付け起訴状の公訴事実)

被告人甲がさきに同社の株式を買い占めていたXに協力して同社の経営権を同社代表取締役会長F1の一族から奪取すべく画策しており、他方、被告人両名がF1会長らの方針によりひそかに買占めに対抗していわゆる防戦買いの挙に出たことがXの知るところとなり、Xと被告人甲との間に確執が生じ、Xが同社の経営権を取得したときは被告人両名が役職を直ちに解任されることが必至であったことから、被告人両名は、共謀の上、右地位を保全するため、政財界研究所代表G及びH政治経済研究所代表Hの両名に対して、Xの取引先金融機関等に融資を行わないよう圧力をかけ、あるいは同人及びその協力者を誹謗する文書を頒布してXの信用を失墜させ、同人に対する金融機関等による資金支援を妨げ、同人による買占めを妨害し、更には買占めに係る株式を放出させるなど、同人による同社の経営権の取得を阻止するための種々の工作を依頼し、その工作資金及び報酬等に同社の資金を流用しようと企て、別紙3記載のとおり、前後六回にわたり、H政治経済研究所ほか二か所において、業務上保管中の同社の現金合計八億九五〇〇万円を、ほしいままに右工作資金及び報酬等に充てるためにGらに交付して横領した。

2  (平成二年九月一一日付け起訴状の公訴事実)

被告人両名は、被告人甲の取締役解任後、更に共謀の上、被告人乙の地位を保全し、被告人甲の同社取締役への復帰を図るべく、G及びHに対し、引き続きXによる同社の経営権の取得を阻止するため、前と同様の工作を依頼し、その工作資金及び報酬等に同社の資金を流用しようと企て、別紙4記載のとおり、前後三回にわたり、ホテルグランドパレスほか一か所において、被告人乙が業務上保管中の同社の現金合計二億八〇〇〇万円を、ほしいままに右工作資金及び報酬等に充てるためにGらに交付して横領した。

二  本件の争点

1  検察官は、公訴事実を敷衍して、冒頭陳述及び論告において、以下のように主張する。

(一) 被告人甲は、当初Xに協力して、F2社長らF一族から國際航業の経営権を奪取しようとしながら、その後変心して、X側とF一族の側に二股を掛け、自社株の防戦買いを実行したのであり、F一族側とX側に対する二重の裏切り行為をしていた。

(二) 被告人甲は、X側が國際航業の発行済み株式の過半数を買い集めて経営権を握った場合には、X側に対する裏切りのために役職を直ちに解任されることが必至であった上、F一族側に対しても、当初のX側に対する内通の事実を隠蔽するため、X側から早期にその保有する國際航業株を買い取って、株式問題を解決する必要があった。

(三) 國際航業の経営陣としては、X側に自社株を買い占められた昭和六二年九月から昭和六三年六月当時、自社の発行済み株式の過半数を制していたのであるから、X側からの株式の高値買取り要求には一切応じず、X側と株主総会で全面的に対決し、X側が金利負担等で疲弊するのを待ち、安値で投げ売りして来るのをじっくり待つという長期持久戦の方針が、唯一の合理的解決方法であり、実際そのような方針が決定された。

(四) 被告人甲は、取締役在任中は、前記(二)のように、自己の地位を保全するには、X側から早期に國際航業株を買い取る必要があったため、会社の長期持久戦の方針に反して、独断でその株を買い取るための工作をGらに依頼し、別紙3記載のとおり、國際航業の簿外資金から支出を続けた。

(五) 被告人乙も、被告人甲の腹心の部下であり、同被告人と一心同体であったことから、同被告人が解任されると自己の地位が危うくなる恐れがあったところ、特に、被告人甲から同被告人がDから現金を受け取った事実を知らされてからは、同被告人がX側に内通しており、自己保身のためにX側からあえて株式を買い取ろうとしていることを確定的に認識した上で、専ら自己の地位を保全するため、同被告人が前記(四)のとおり支出するのに加担した。

(六) 被告人甲は、取締役解任後もなお取締役復帰の願望を有しており、他方、F2社長に前記(一)の内通の事実を知られると、民事、刑事の責任を追及される恐れがあったことから、これを免れるため、引き続き独断でX側から國際航業株を買い取ろうと企て、そのための工作をGらに依頼した。

(七) 被告人乙も、被告人甲が國際航業の取締役に復帰することを望むとともに、同被告人が責任を追及されると、自己の地位が危うくなる恐れがあったことから、自己保身の動機も加わり、同被告人と共に、前記(六)のとおり工作をGらに依頼し、別紙4記載のとおり、國際航業の簿外資からの支出を続けた。

2  これに対し、被告人甲の弁護人は、以下のとおり主張する。

(1) 本件当時の國際航業にそもそも長期持久戦なる方針はなく、被告人甲らが本件金員を交付したのは、X側から國際航業株を買い取るという会社の方針に沿ったものである。

(2) 被告人甲は、当時國際航業の経理部長として、表裏を問わず、金員の最終的支出権限を有していたから、本件各金員のうち別紙3記載の分の支出については、右の権限に基づくものであり、権限逸脱行為には当たらない。

(3) 被告人甲は、本件各金員のうち別紙3記載の分の支出については、一般的権限がなかったとしても、F2社長の承諾を得ていたから、具体的権限を与えられており、権限逸脱行為はなかった。

(4) 本件各金員は、被告人甲の保身等の個人的目的を図ることではなく、専ら委託者本人である國際航業のために行ったことであるから、同被告人には横領罪の成立要件である不法領得の意思がなかった。

3  被告人乙の弁護人も、被告人甲の弁護人とほぼ同様の主張をするほか、被告人乙は、被告人甲の内通の事実や主観的意図を知らず、本件各金員の支出についても、同被告人がF2社長の承諾を得ていると思っていたので、不法領得の意思がなかったと主張する。

4  被告人両名が合計八回にわたって別紙3及び別紙4記載の合計一一億七五〇〇万円の本件各金員を公訴事実記載のような工作資金等としてGらに交付したことは、被告人・弁護人も争わないところであり、また、被告人両名とG・Hの間にはX側に対する工作を依頼したという以外には特別の関係はなく、被告人両名がGらから本件金員の交付に関連して経済的利益を得たということもなく、被告人両名は本件各金員を一銭も自らの懐に入れていないといっても過言でないことは、検察官の主張するところをみても明白である。このような本件においては、弁護人が指摘するように、本件各金員の支出は、被告人両名にその権限があったと認められるのであれば、被告人甲らの主観的意図を問うまでもなく、権限逸脱には当たらないことになるし、その権限がなくても、本件各金員の支出が國際航業の方針に沿ったものであったとみうるのであれば、専ら委託者本人のためにこれを行ったという推定が働くから、被告人両名には不法領得の意思がないということになり、業務上横領罪の成立が否定されることになる(横領罪において、一般に、占有者が領得行為をもっぱら委託者本人のためにする意図でしたときには、不法領得の意思は認められないと解されることにつき、大審院判決大正一五年四月二〇日・刑集五巻一三五頁、最高裁判決昭和二八年一二月二五日・刑集七巻一三号二七二一頁等参照)。

本件においては、関連する諸々の事実経過が存するところであるが、外形的事実については、検察官及び弁護人、被告人らにおいてほぼ争いがなく、主としてこれらの事実の意味づけや被告人両名をはじめとする関係者の意図等が争われている。そこで、以下、まず本件当時の國際航業の状況、いわゆるX問題に関する同社の対応ないしは方針等、本件をめぐる事実の経過を認定した上で、被告人両名の本件支出についての一般的及び具体的権限の有無、本件各金員の支出と國際航業の方針との関係、被告人両名の不法領得の意思の有無を判断していくこととする。なお、被告人甲が國際航業の取締役の地位を失って以降の別紙4記載の各支出に関しては、被告人乙のみが金員保管者としての身分を有していたので、同被告人を中心に支出権限及び不法領得の意思の有無を検討する。

なお、以下の説明においては、被告人や証人の公判廷での供述と公判調書中の供述部分を区別せずに「公判(での)供述」あるいは「(公判での)証言」などと表記する。

三  本件をめぐる事実の経過

以下の事実は、関係証拠上明らかであり、かつ、検察官及び弁護人、被告人らにも概ね争いのないところである。

①  國際航業は、航空測量等を主な営業目的とする株式会社であり、航空測量業界において第一位の売上高を占めていた。同社は、昭和三六年一〇月その株式を東京証券取引所第二部市場に上場し、昭和六二年九月一日、その株式を同取引所第一部市場に上場した。同社の同年三月末現在の資本金は八〇億六八四五万九〇〇〇円、発行済み株式総数は二八三七万〇一一七株であり、昭和六三年三月末現在の資本金は一六七億八五四六万六〇〇〇円、発行済み株式総数は四〇一〇万六九二九株であった。

②  國際航業は、昭和六二年当時、F1が代表取締役会長、同人の長男であるF2が代表取締役社長、F1会長の娘婿のIが専務取締役を占める典型的な同族会社であった。同社の営業、技術部門においては、代表取締役副社長営業本部長のJが実権を握り、その下で、取締役技術営業副本部長のBが営業部門を掌握していた。これに対し、経理部と総務部を合せた同社の管理部門は、F2らF一族が実権を握っていたが、被告人甲が取締役経理部長として、F一族の信頼を得て経理部を掌握し、被告人乙が経理部次長として被告人甲を補佐していた。同社においては、営業資金等に充てるため、簿外資金を恒常的に留保していたが、その原資は、自社資金のほか、同社の金融部門を担当する東洋リース株式会社(I専務が代表取締役で、被告人甲が取締役を務めていた。以下「東洋リース」という)や興亜開発株式会社(以下「興亜開発」という)等の子会社から仮払金等として支出しており、被告人両名がその管理を担当していた。國際航業では、当時、Bや被告人甲ら若手幹部を中心とする層から、F2やI専務の経営者としての資質に疑問が呈される一方、J副社長の専横に対しても批判が高まっていた。加えて、F一族の中においても、F1会長とF2社長との確執が表面化していた。

③  Xは、コーリン産業株式会社(その後商号を株式会社光進と変更し、現在に至る。以下「光進」という)の代表取締役かつオーナーであり、蛇の目ミシン工業株式会社(以下「蛇の目ミシン」という)の株式を大量に取得するなど、株式の買占めを行ったり、いわゆる仕手戦を手掛けたりする人物として知られていた。Xは、國際航業株の買占めを企図し、昭和六二年六月中旬ころ、同社の関連会社であったウィング株式会社(以下「ウィング」という)代表取締役のDを通じてBに接近し、更に同月二五日ころ、料亭「一条」において、D、B、被告人甲と会談し、自らは國際航業株を買い集め、F一族に代わってBら三名が同社の経営権を掌握できるよう協力すると言明し、被告人甲らの協力を取り付けた。その後、Xは、光進等の名義で同年中旬ころまでに同社の発行済み株式総数の約42.5パーセントに当たる約一六〇〇万株を買い集めた。同月下旬ころ、XはF2社長と会談し、同人を社長に留まらせることを条件に、同社をXとF一族との共同経営とし、双方が折半して出資した新会社を設立し、同社に國際航業から借り入れさせた資金で、X側が買い占めた國際航業株を買い取らせるという構想に合意させ、同年八月七日、F2社長との間でその旨の共同経営に関する覚書を作成・調印した。

④  F2社長は、覚書を実行に移すために、五〇〇億円の株買取り資金を銀行から調達するよう被告人甲に指示し、同被告人が國際航業の取引銀行を回って協力を求めたが、いずれからもXとの共同経営構想に反対されて融資を断わられた。このため、F2社長は、同年八月中旬ころ、Xとの覚書の実現を断念し、これを反古にするとともに、自社株の防戦買いを行って、X側と対決することとした。同社では被告人甲が中心となって同株の防戦買いを行った結果、同年九月下旬ころまでに発行済み株式総数の約51.2パーセントの株式を確保するに至った。

⑤  Xは、同年八月下旬ころ、被告人甲に対し、会社側に立って防戦買いを行っていることを責めて脅迫する一方、F2社長に対しては覚書の実行を迫った。また、Dは、Xの代理人として、國際航業の役員にF2社長の覚書締結の事実を暴露し、同人の信用失墜を図る一方、F1会長を訪れるなどして、覚書の実行を迫った。これに対し、同社側では、覚書はF2社長個人が取り交わしたもので、会社には効力が及ばないと主張したが、このころ、F1会長は独断で覚書を締結したF2社長に激怒し、同社の役員の間でF2社長を非難する声が強まった。このため、同年一〇月二〇日の取締役会で、F2社長に覚書締結の責任を取らせる形で、事実上社長職から外し、今後はF1会長が中心となり、J副社長がこれを補佐することが決定された。同社においては、防戦買いによって取得した株式の処理等をめぐって、「月曜会議」が開かれていたが、これ以降、F2社長を除いて新たにプロジェクトチームが発足し、右の問題の処理に当たることとなった。

⑥  被告人甲は、同年九月三日ころ、BとDとの共同による國際航業株売買(甲・B・D共同取引)の売却益の分け前として、Dから現金約二億三〇〇〇万円を受け取った。同年一〇月一一日ころ、Dが被告人甲にその管理する國際航業株二〇〇万株の譲渡を要求したが、同被告人はこれを拒否した。同月末から同年一一月初めにかけて、J副社長と被告人甲がDに会い、X側からの株の買取りを打診したところ、DはX側が保有する全株の買取りをほのめかしたが、具体的話合いに入ることなく終わった。同年一一月以降、Dは被告人甲に、X側から一株当たり三〇〇〇円で買い受けたものの代金が未払いとなっている國際航業株二三〇万株の売買代金六九億円の融資を申し入れ、被告人甲は、これに応じて、國際航業の関連会社である株式会社エス・エス・ケイがDの経営するD電工株式会社に六九億円を融資し、國際航業株二三〇万株を譲渡担保に取るという契約をDとの間で締結し、同年一二月一一日、六九億円をD電工の銀行口座に振り込んだが、Xが株の引渡しを拒否したため、株買取りは実現しなかった。同月二三日ころから、Dは、しきりにX側の保有する同株一七〇〇万株の買取りをF1会長に持ちかけ、同社においても、一株当たり三〇〇〇円プラス同社所有のスカイビル譲渡という条件での買取りを検討し、被告人甲がその買取り交渉の担当者となった。しかし、被告人甲は、X側からこの買取り資金の融資元として地産グループのオーナーのKを紹介されたため、K会長とXの仲を警戒してその実行を断念した。

⑦  F2社長は、昭和六三年一月上旬、國際航業の社長職を事実上外されたことの不満を出張先で幹部に漏らしたが、これがF1会長の耳に入り、同人は、J副社長と被告人甲に、F2社長が両名を辞めさせようとしていると伝えるとともに、同月二一日ころ、F2社長に辞任勧告を突き付けた。同月下旬から同年二月上旬にかけて、F1会長は、取締役会等の席上、F2社長を辞任させた上自らが社長職を兼務する意向を明らかにしたが、取引銀行がいずれもF2社長の辞任に難色を示したため、結局、役員懇談会において、F2社長を当分の間休養させ、同年六月の株主総会において正式に辞任させることとした。これに対し、F2社長は、同年二月五日ころ、被告人甲と会って、同被告人を辞任させるという噂は事実無根であると釈明した。

⑧  Dは、同年一月二一日ころ、被告人甲と会い、自分がXの信頼を失ったことを伝えるとともに、被告人甲の管理する國際航業株二〇〇万株を渡さないと妻子に危害を加えると脅したが、同被告人は、これを拒否した。被告人甲は、同月二七日ころ、元住友銀行行員で國際航業の得意先係をしていたLから、政財界に人脈を持ち株式をめぐる裏工作のベテランとして、H政治経済研究所代表のH及び政財界研究所代表のGを紹介された。被告人両名は、同月二九日ころ、HとGから、怪文書を流してXの信用を失墜させたり、政治家からXの取引銀行に圧力をかけさせて、同人を資金的に窮地に追い込み、同人に國際航業株を投げ出させる工作をしてこれを買い取るという計画を聞かされ、当面の活動費として三〇〇〇万円を要求された。被告人両名は、GらにX側からの同株買取りの裏工作を依頼することとし、同社の簿外資金から、別紙3の1及び2記載のとおり、Gらに同年二月二日ころ一〇〇〇万円、同月八日ころ二〇〇〇万円を交付した。

⑨  被告人両名は、同年二月八日ころ、HとGとの間で、Gらの裏工作の経費及び成功報酬を、一株当たりそれぞれ五〇円及び一〇〇円とし、これを含むX側からの國際航業株の買取り価格を一株当たり三五〇〇円とすることで合意に達した。Gは、同月一五日ころ、被告人両名に活動費として三億円を要求する一方、XやDらを中傷する怪文書を作成して政界や金融機関等の各方面に配布したり、被告人両名を代議士の事務所に連れて行くなどした。そして、被告人両名は、同月一九日ころ、同社の簿外資金から、別紙3の3記載のとおり、Gらに現金三億円を交付した。

⑩  Dは、Xの信頼を失って、同年二月末限りで國際航業の株式問題から手を引き、これに代わって、E(以下「E」という)がXの代理人となった。被告人甲は、同年三月上旬ころ、Eから、③のとおりいったんX側に協力したことや、⑥のとおりDから多額の現金を受け取ったことを材料に脅迫され、X側への協力を求められたが、これを断わった。他方、このころから、F1会長がEと接触するようになり、これが社内で明らかとなったため、F1会長に対する不信感が生じた。同社では、同月末までに、防戦買いによって買い集めた自社株の他社へのはめ込みを完了したが、この間、F1会長がはめ込み工作に消極的姿勢を示したため、F2社長がこれに代わって他社を積極的に回ることとなり、休職状態を脱して事実上社長職に復帰した。しかし、F2社長が覚書問題について新聞記者の取材に応じた記事が、同月一〇日付けの朝日新聞夕刊に出たため、F2社長に対する社内及び社外の信頼は再び低下した。

⑪  同年三月七日ころ、被告人両名は、GらからXに協力している暴力団への工作資金として二億円を要求され、同月一〇日ころ、國際航業の簿外資金から、別紙3の4記載のとおり、Gに現金二億円を交付したが、その際、Gから同人らの買取り工作を表に立って仕上げる弁護士としてM弁護士を紹介された。このころ、被告人両名は、GらからF2社長に会わせるよう要求されたため、F2社長とI専務の了解を得て、同月一八日、両名をGとHに引き合わせた。さらに、同月二三日ころ、F2社長は、M弁護士と同社の顧問契約を結んだ。

⑫  同年三月一一日、内外タイムスに、被告人甲がX側と内通してF一族の追い落としを図ったという暴露記事が出たのに続き、同月一八日には、同被告人がX側から二億八五〇〇万円を受け取ったという暴露記事が出た。しかし、F2社長やI専務らは、これによって被告人甲に対する信頼を揺るがせることなく、これらの記事は、Xが國際航業の切り崩しのために意図的に流したデマであると認識していた。一方、被告人甲は、そのころ被告人乙に、Dから現金二億三五〇〇万円を受け取った事実はあるが、これは、Dから押しつけられたのでやむなく受け取ったものであると告げて、引き続き協力を求め、被告人乙もこれを了解した。

⑬  同年四月初めころ、被告人両名は、GからEを取り込むための工作資金として三億六五〇〇万円を要求され、別紙3の5及び6記載のとおり、Gに國際航業の簿外資金から、同月六日ころ二億円、同月一一日ころ一億六五〇〇万円をそれぞれ交付した。なお、F2社長は、同月二三日ころ、被告人甲を政財界の裏事情に詳しいNに引き合わせ、同人は被告人甲に、Gに前科があることなどから、気を付けるよう注意した。

⑭  F1会長は、Eから、被告人甲がインサイダー取引で私腹を肥やしていることなどを聞かされて、同被告人に対する不信感を募らせ、同年四月二二日ころ、同被告に國際航業の取締役を辞任するよう迫り、同日付けの辞表を提出させた。F2社長やI専務は、これに反発したが、F1会長は、同年五月一一日付けで右辞任を登記した。これを知ったF2社長は、本社の幹部約三〇名を集め、被告人甲が辞任に追い込まれたことを伝えて、結束を呼びかけるとともに、同被告人に対し、当分の間東洋リースに出社し、従来どおり株問題の処理に当たるよう指示した。同月一二日ころ、Eが國際航業の顧問弁護士の桃尾重明弁護士の事務所に押しかけたため、被告人両名は、GにEの牽制を依頼したところ、Eの事務所に暴力団員が押しかけたため、怒ったEが、同月中旬、暴力団員風の男を連れて被告人甲の自宅を訪れ、同被告人を脅迫した。

⑮  同年五月一二日から同月一八日にかけて、國際航業の社内で、興亜開発等の子会社からGらに合計五億円が出金したまま回収されていないことが明るみに出て、被告人乙は、中山総務部長や桃尾弁護士に追及された。また、被告人甲も、F2社長からこの支出について確認を求められ、「株取引の際に清算される分です」と答えたが、同人から責任を追及されることはなかった。同月三〇日ころ、Lから被告人両名に、株式会社イトマンのルートによるX側からの國際航業株買取りの話が持ちかけられたが、I専務が消極的であったため、この話は流れた。同年六月二三日ころ、被告人乙は、I専務の指示により、Hにこれ以上動かないよう頼んだが、同人から拒否された。

⑯  同年五月中旬ころ、F1会長は、Xとの間で、X側が役員を一人入れることを条件に、自己の支配する國際航業株の議決権をXに委任することで合意に達した。F1会長は、同月二七日の國際航業の取締役会で、被告人甲の後任の経理部長にO(以下「O」という)を推薦して了承を得たが、Eを取締役に推薦したところ、他の役員の反対に遭ったため、この提案を撤回せざるをえなかった。F1会長は、同年六月一七日ころ、自己が支配する株式をX側に譲渡し、委任状を同人に交付した。このことが國際航業の社内で明らかになり、X側が同月二九日開催の株主総会で同社の経営権を掌握することが必至と予測されるようになったため、同社内は大混乱に陥った。しかし、F2社長は、関根栄郷弁護士を通じてX側の議決権行使停止の仮処分を東京地方裁判所に申請し、同裁判所は、同月二八日この申請を認めた。この結果、翌二九日の株主総会は、F2社長側のペースで終了し、その直後に開催された取締役会で、F1会長は代表権を剥奪された。F2社長は、被告人甲を東洋リースの代表取締役に就任させることとし、同年七月一日、同社代表取締役就任予定に発令した。

⑰  同年七月五日ころ、Eが再度被告人甲宅を訪れ、同被告人を脅迫するとともに、Gと手を切りF2社長に協力しないように要求した。そのころ、被告人両名は、株主総会後初めてGを訪れ、株主総会の報告をする一方、被告人甲は、Eが自宅に押しかけて来たことを心配して、Gに相談した。同月一一日ころ、被告人両名は、Gから地産ルートでの工作資金として一億三〇〇〇万円を要求され、同月一三日ころ、國際航業の簿外資金から、別紙4の1記載のとおり、Gに現金一億三〇〇〇万円を交付した。

⑱  被告人甲は、同年八月五日、所得税法違反の嫌疑により東京国税局の強制査察を受けたことから、同月八日ころ、F2社長らにインサイダー取引やDからの金員受領の事実を打ち明け、同月末までに國際航業の関連会社の役職を全て辞任せざるをえなくなった。

⑲  Gは、同年四月ころから、いわゆるサラ金業者の株式会社武富士(以下「武富士」という)と接触し、武富士ルートによるX側からの國際航業株買取り工作を積極的に進めようとした。同年九月初めころ、Hは、被告人両名に、Gが武富士にX側の株を買い取らせようとしていると伝え、武富士を下ろすための工作資金として一億五〇〇〇万円を要求した。被告人両名は、Gに対し、國際航業でX側の株を買い取れるようにしてもらいたいと依頼したが、Gは、被告人両名の希望に反して武富士に買い取らせる意向を示し、被告人両名に武富士のP会長を紹介するなどした。被告人両名は、別紙4の2及び3記載のとおり、Gに國際航業の簿外資金から、同年一〇月五日ころ五〇〇〇万円、同月一八日ころ一億円をそれぞれ交付した。この間、同年九月二一日ころ、被告人甲がF2社長に武富士ルートの動きについて報告したほか、同年一〇月六日には、被告人両名がF2社長に会い、Gらを通じて武富士ルートで工作していることを告げた。

⑳  F2社長やJ副社長は、それぞれ独自にX側から國際航業株を買い取ろうと工作を試み、F2社長が裏金八〇〇〇万円を、J副社長が裏金一億円をそれぞれ使ったが、同年一〇月下旬ころまでに全て失敗に終わった。また、東京地方裁判所でのF2社長側とX側との和解交渉は進展せず、同年一一月二日、同裁判所がX側が申請した臨時株主総会招集を許可したため、X側が株主総会で同社の経営権を掌握することが必至となった。Gは、なおもX側から國際航業株を買い取るべく、Q不動産代表取締役のQを通じて交渉に当たり、同年一二月七日ころ、F2社長とQとの会談をセットしたが、F2社長がこれに応じなかったため、Gらの買取り工作は全て失敗に終わった。同月一〇日に開催された臨時株主総会でX側が勝利を収め、Xの推薦した者が國際航業の取締役に就任した。なお、被告人乙は、同月二〇日付けで同社財務部次長となり、平成二年六月に逮捕されるまで、その地位に留まった。

(以下、右各事実を引用するときは、①ないし⑳の番号を用いる。)

四  國際航業のX問題に関する基本方針について

1  被告人甲が中心となって防戦買いを行った結果、國際航業側が昭和六二年九月下旬ころまでに発行済み株式総数の約51.2パーセントの株式を確保したことは、④で認定したとおりである。一般論としては、検察官が主張するように、國際航業側が発行済み株式総数の過半数の株式を制している以上、買占め側であるX側からの株式の高値買取り要求には一切応じないで、一丸となってX側と全面的に対決し、X側が金利負担等で疲弊するのを待ち、株式を安値で投げ売りして来るのをじっくり待つという長期持久戦の方針が、合理的であるということができる。

しかし、國際航業側が発行済み株式総数の過半数の株式を制したといっても、過半数をわずかに超えたに過ぎず、約42.5パーセントの株式を保有するX側との差は大きくなく、社員株主等の中に高値に釣られて株を売る者が出れば、たちまち勢力が逆転しかねない状況であったから(現に、⑯のとおり、あろうことかF1会長がX側に寝返ったため、会社側の敗北が必至となった)、到底國際航業側が安定的に過半数の株式を支配しているという状況ではなかった。このため、國際航業の取引銀行の中には、勢力の逆転を懸念して、同社に対する支援に及び腰になるところが多かったことは、被告人両名が公判で供述するとおりである。加えて、被告人両名の公判供述、J副社長やI専務、本件当時の國際航業の経理部次長Rの証言等によれば、Xのような仕手筋の人物に過半数には達しないものの四割以上もの大量の株式を保有されているということは、同社の信用を著しく損なうものであったこと、とりわけ、当時同社においては、最盛期を過ぎたとはいえ、地方自治体の道路台帳に関する業務が依然として売上げの中心を占めるなど、官公需が売上げ全体の九割以上を占め、官公庁に対する信頼が重視されていたところ、X側による株買占めは、同業他社から恰好の攻撃の材料にされて、営業上極めて大きなハンディキャップとなり、売上げの減少をもたらすものであったこと、そのことが同時に人材の流出をもたらすなど、同社に有形無形の悪影響を及ぼしていたことが認められる。したがって、國際航業の経営陣としては、一刻も早くX側による多数の株式の買占めという状態を解消する必要があり、X側からその保有する株式を早期に買い取ること(以下、これを「株買取り策」という)は、同社の実情を考慮した場合、事態の合理的解決策であったということができる。そして、前掲の証拠によれば、そのような認識は、被告人両名ばかりでなく、当時の同社の役員や幹部社員の間で一般的であったと認められる。

そうすると、当時の状況を前提とすると、いわゆる長期持久戦は、むしろ早期の株買取りが成功しなかった場合の次善の策とみるべきであり、株買取り策と両立しうるものであり、まして長期持久戦が同社の経営陣のとるべき唯一の解決方法であったということはできない。

加えて、長期持久戦で臨むためには、國際航業の首脳陣の意思統一が必要となるが、I専務の証言等によれば、当時、F1会長、F2社長及びJ副社長の三者の間は揉めており、到底会社としての方針を固めて事態に対処できる状態になかったことが認められる。このように、当時の同社には、長期持久戦で臨むための前提条件が欠けていたといわざるをえない。

2  検察官は、実際に國際航業の社内において長期持久戦の方針が確立された根拠として、(1)昭和六二年九月二五日ころ、防戦買いが成功し、國際航業が発行済み株式総数の過半数の株式を制したことから、F2社長が取締役会において長期持久戦の方針を打ち出したこと、(2)同年一〇月二〇日の取締役会において、長期持久戦の方針に基づき、プロジェクトチームが編成されたこと、(3)同年一二月ころ、Dから國際航業に対し、X側の保有する一七〇〇万株を一株当たり三〇〇〇円プラス同社所有のビル二つの譲渡という条件で買い取る申し出がなされたとき、F1会長が高いという理由で断わったこと、(4)昭和六三年二月九日ころ同社内で開かれた対策会議において、X側と対決して同年六月の株主総会を乗り切るべく、防戦買いによって取得した株を安定した先にはめ込むことが決定されたこと、(5)同年三月末までに株のはめ込みが完了したことを受けて、対策会議において株主総会を前提とした乗切り策の検討にかかったことをあげる。

しかし、(1)の点については、被告人甲の検察官調書(乙6)等の関係証拠によれば、F2社長の取締役会での発表は、國際航業側が発行済み株式総数の過半数の株式を確保したことに重きを置いたものであって、当該取締役会で長期持久戦の方針について具体的に議論が交わされたわけではなく、ましてそれが会社の基本方針として決定されたものではないと認められる。検察官の援用するI専務の検察官調書(甲75)には、F2社長が「國際航業側が発行済株式総数の過半数の株式を制したので、これを維持してX側と全面対決して株主総会を乗り切る」との会社の基本方針を打ち出し、役員会の了承を得たという供述があるが、発言をしたとされる当のF2社長の検察官調書にこれに相当する供述がない上、被告人甲やJ副社長の検察官調書にも、これほど明確な記載はなく、I専務の前記検察官調書は、突出した印象を免れず、これをそのとおりに信用することはできない。いずれにしても、F2社長の発表は、株買取り策を排斥するものではないというべきである。

(2)の点については、プロジェクトチームの発足は、⑤で認定したとおり、F2社長が事実上社長職から外されたことに伴い、それまで同社において防戦買いにより取得した株式の処理等をめぐって開催されていた「月曜会議」のメンバーからF2社長を外すことに主眼があったのであり、長期持久戦を打ち出したことを契機とするものとは認められない。

(3)の点については、確かにF1会長とI専務の検察官調書には、検察官が指摘するような供述はある。これに対し、被告人甲は、検察官調書(乙40)において、昭和六二年一二月二三日ころ、まずDがF1会長を訪ね、X側から一株当たり三〇〇〇円プラスアルファで株を買い取れるという打診があったこと、翌二四日ころには、Dがプラスアルファとは國際航業の所有するビル二つの譲渡という意味であると伝えたところ、F1会長が逆に一株当たり三〇〇〇円プラスビル一つの譲渡を提案したこと、翌二五日ころには、再度DがF1会長を訪ね、一株当たり三〇〇〇円プラススカイビルの譲渡での株買取りの提案に対する受諾を回答し、F1会長がJ副社長、I専務、Bらを集めて協議した結果、この条件に基本的に異論はなく、以後、Bと被告人甲が窓口となって交渉することとなった旨供述している。被告人甲は、この問題の担当者として具体的交渉に当たっていたのであり、その供述内容は、非常に詳細かつ具体的であるのに対し、F1会長とI専務の供述内容は、実務的な点を被告人甲に任せていたことを考慮しても、余りにも曖昧であり、同被告人のそれと比較すると、信用性において劣るというべきである。また、被告人甲の右の供述は、同被告人が自己保身の動機に基づいて株問題の解決を急いだことの理由付けとして述べられており、自己に不利益な事実の承認であるから、ことさら自己に有利に虚偽を述べたとは考えがたく、その信用性を疑うべき理由は見出せない。そうすると、被告人甲の供述が真実であると認められるのであって、これによれば、國際航業の首脳陣は、Dを通じての株買取り策を真剣に検討しており、しかも、同社所有のビルを一つ処分するという出血を覚悟してでも、これを実現しようとしていたと認められる(F1会長とI専務の検察官調書から三〇〇〇円プラススカイビルの譲渡の話が揃って脱落しているのは、この話が出血を伴うものであるだけに、不自然な印象を免れない)。

(4)及び(5)の点は、一応長期持久戦の方針に親しむ事項ということができるが、株買取り策を取った場合でも、これが成功しなければ、株主総会においてX側と対決せざるをえず、防戦買いをした株式について株主総会での議決権の行使を確保しようとすれば、他社へのはめ込み工作を行うほかないのであるから、長期持久戦のみを前提とした対策ということは適当でなく、株買取り策と両立しうるものというべきである。

以上のとおり、検察官が援用する事実や証拠を吟味してみても、國際航業の社内において、株買取り策を排斥する形での長期持久戦の方針が確立されたとは到底認められないところである。

3  以下、この長期持久戦の方針確立の有無という論点の本件における重要性にかんがみ、さらに、証拠関係についての説明を補足しておく。

第一に、関係証拠によれば、昭和六二年九月下旬に、被告人両名がF2社長の指示により株式安定化工作の経理部案(被告人甲の検察官調書(乙39)に資料①として添付されたもの)を作成し、当時株式問題を討議していた「月曜会議」で了承を得たことが認められるが、この案においては、発行済み株式総数の過半数を制した後の株式安定化工作として、防戦買いによって取得した株式のはめ込み工作を行うとともに、安定株主の比率を六五パーセントまでもって行くことを目指して、金融機関に國際航業株の買増しを依頼した場合の資金繰りや、「株式買取(案)」として、X側から株式を買い取った場合の売却損や金利負担等の処理が検討されている。ここからは、少なくとも、國際航業が発行済み株式総数の約51.2パーセントの株式を制したことに満足することなく、更に株式の安定化を企図して、買増し策と並んで株買取り策を検討していたと認められる。しかも、株買取り策は、この売却損や金利負担等の処理を含むもので、「國際航業の不動産の含み益を一部充当する」との記載からも明らかなように、同社として相当な出血、負担を伴うことを覚悟した真剣なものであったことが窺えるのである(なお、被告人甲の前記検察官調書において、右の経理部案を示しての供述が録取されているのに、「株式買取(案)」についての説明が全く脱落しているが、これは不自然であるとの感を禁じ得ない)。そして、前記の三〇〇〇万円プラススカイビルの譲渡による株買取りの話は、この案の延長線上にあるものと評価することができる。

第二に、⑥のとおり、昭和六二年一〇月末から同年一一月初めにかけて、J副社長と被告人甲がDに会い、X側からの株の買取りについて打診している上、同年一二月九日ころには、DがXから買った國際航業株の代金相当額の六九億円がDの経営する会社の口座に振り込まれている。このうち、J副社長がDに株の買取りの打診をした点については、代表取締役である副社長の行動であるから、当時の國際航業の首脳陣が株買取り策に積極的であったことを推認させるに充分な事実である。加えて、前記2のとおり、同月二三日以降、Dの一七〇〇万株の買取りの申し出に対して、F1会長ら役員がこれを真剣に検討した事実が認められるのである。

右六九億円の振込みに関し、検察官は、被告人甲が上司の了解を得ず独断で行ったものであると主張するので、検討する。この点について、被告人甲は、検察官調書(乙40)において、I専務に簡単に報告したところ、I専務は、一株当たり三〇〇〇円という価格に驚いていたが、融資を了解してくれたと供述するのに対し、I専務は、検察官調書(甲76)において、二三〇万株を一株当たり三〇〇〇円で買い取るという話は、現実味のない非常に漠然とした夢のような話で、実現するとは思っておらず、六九億円の出入りについては全く知らなかったと供述する。しかし、六九億円というのは、本件で被告人両名が横領したとされる金額の数倍に上る額であって、いかに被告人甲が取締役経理部長として経理部の実験を握っていたとしても、独断で支出することが許されるはずがなく、これが明るみに出れば、同被告人の責任が追及されてしかるべきである。ところが、I専務は、被告人甲がX対策の先頭に立ってやってくれていると信頼していたので、同被告人が独断で支出したことについて責めることをしなかったと供述する(前記検察官調書)。もし、このとおりだとすれば、I専務の態度は、被告人甲の独走に対するチェックを放棄するに等しく、上司としてはなはだ無責任であったといわざるをえない。これに限らず、六九億円をめぐるI専務の供述は、二三〇万株を一株当たり三〇〇〇円で買い取るという話がその後どうなったか確かめなかったとか、六九億円を被告人甲がどこから調達したか聞かなかったとか、曖昧な点が多く、その信用性には大いに疑問がある。これに対し、被告人甲の供述は、I専務に話した際の同人の反応等も交えて具体的であり、信用性が高いことは明らかである。また、被告人甲のその前後の前記の行動が、いずれもJ副社長やF1会長という上司と共にあるいはその指示に基づいて行われているのであって、六九億円の融資のみが被告人甲の独断で行われたとみるよりも、I専務の了解を得て行われたとみる方が、一連の事実の流れとして整合性があるというべきである。

さらに、検察官は、一七〇〇万株の買取り交渉について、これは、一株当たり三〇〇〇円プラススカイビルの譲渡での株買取り案がつぶれたため、被告人甲が独断で買取りを図ったものであると主張するところ、この主張も、F1会長とI専務の検察官調書を基に推論したものと考えられる。しかし、この点に関しても、被告人甲の検察官調書は具体的であって、何も語っていないF1会長とI専務の検察官調書より信用性が高いというべきである。そして、被告人甲の検察官調書(乙40)によれば、同被告人の右行動は、F1会長の意向を受けて行われたものと認められる。

第三に、X側と対決して株主総会を乗り切るべく、防戦買いによって取得した株を安定した先にはめ込むことが決定されたと検察官が主張する前記2(4)の昭和六三年二月九日ころ開かれた対策会議の内容について、この会議の参加者でこれをメモしていたO作成の電話連絡ノート(被告人甲の検察官調書(乙43)末尾添付の資料③、J副社長の検察官調書末尾添付の資料⑨と同じ)に、「コーリンから引取ったときの損失金の処理方法」という記載がある。これによれば、当日の会議において、総会対策や株はめ込み策などと並んで、X側から株を買い取ったときの損失金の処理についても討議されたことが明らかである。このノートについて、被告人甲は、前記検察官調書において、「一読したところ、当時の経過を相当正確に記録してある」といいながら、右の部分については、「当時、私は、H・Gに対し工作を依頼しておりましたが、そのことをプロジェクトチームに明らかにしていたわけではないので、あくまでも一般論としてそのように書かれたものと思います」と供述する。ここでいう「一般論」の意味が不明であるが、事柄の性質上、この会議においてHらに株買取り工作を依頼していることを打ち明けて議論されたことはない(被告人甲も、公判供述でそこまでは言っていない)としても、この議題だけが他の議題と異なり特に抽象的に議論されたという根拠もない。さらに、I専務に至っては、検察官調書(甲77)において、「この日コーリンから株を引き取ることが議題となって討議されたことはないので、これはOが出席者から出たいくつかの話の一つを書き留めた程度のことと思います」と供述する。しかし、この対策会議は、取締役会のように正式な議題について議決するという機関ではなく、X側に株式を買い占められた状況を打開するための対策を協議する極めて実践的な場なのであるから、「議題」と「出席者から出たいくつかの話」との区別があったとは到底考えられない。これは、株買取り策の印象をできるだけ薄め、それが総会対策や株はめ込み策と並ぶ会社の方針であったことを否定しようとする意図的、作為的な供述であるといわざるをえない。このようなI専務の供述は、自己がX側からの株買取り、ひいては本件支出に関わっていたことを否定したいという意図によるものか(被告人甲は、公判において、同被告人がI専務にGらによる株買取りのことを話していたことから、この対策会議でI専務がこの議題を持ち出したと供述する)、國際航業の長期持久戦の方針を重視した検察官の意思が反映したものかはともかく、信用性が認められないことは明らかである。また、J副社長の検察官調書においても、この資料についての説明が求められていながら、「コーリンから引取ったときの損失金の処理方法」については、説明が欠如している。いずれにしても、右の資料によれば、同年二月九日ころの時点で、國際航業が株買取り策について、買い取ったときの損失金の処理方法というところまで踏み込んで、真剣に検討しており、当時同社において株買取り策が依然として有力な選択肢であったことが認められる。

第四に、國際航業の内部資料中に注目に値する記載がある。すなわち、I専務の検察官調書(甲76)添付の資料①は、同人の手帳の昭和六二年一〇月一二日から同月一八日までの記載であるが、その備考欄には、東洋リースを示すと思われる「東」と「X」という文字、「コー銀」という文字をそれぞれ線で結んだ記載があり、これは、東洋リースを通じて日本興行銀行等の金融機関から融資を受け、X側からその保有株を買い取ることを意味すると考えられる。また、J副社長の検察官調書添付の資料③は、同年一一月二七日ころ同人が作成したメモであって、その二枚目には、X側が國際航業株一七〇〇万株を取得するために投下した資金の額に関する記載に続いて、「話を付けるとすると六五〇億くらいか」という記載、さらに一七〇〇万株を買い取った場合の同株式の処理方法及び収支に関する記載がある。これらの資料はいずれも、國際航業の首脳陣が株買取り策を、その資金負担を含めて検討していたことを推認させるものである。しかしながら、これらの者の検察官調書においては、これらの資料についての供述は録取されていない。

第五に、國際航業では、DがXの代理人として活動し、会社に対して敵対的態度をとっていることが明らかとなった同年九月以降も、引き続きDを國際航業の関連会社であるウィングの代表取締役の地位から解任することなく、その地位に留まらせている。これは、一見すると、X側と対決する姿勢をとっている國際航業としては、不可解な行動であるが、被告人甲が公判で供述するように、株買取り策を実現するためのパイプ役として、あえてDとの関係を維持していたとみれば、理解可能な行動である。そして、この事実も、國際航業が株買取り策を模索していたことの現われとみることができる。

第六に、何よりも、証人として出廷したJ副社長、F2社長及びI専務が、國際航業の首脳陣としては、X側から株式を早期に買い取れればそれに越したことはないという意向であった旨、一致して証言している。すなわち、I専務は、「過半数を当社の支配下に置ける状態を作って、長期的に対抗して行こうというのが基本路線だったと思う」と証言する一方、「過半数を制してXに対抗するということと、有利な条件であれば株を引き取るということは、常に並行していた」、「私は少し時間がかかっても頑張ればという感じだったが、J副社長は、できるだけ早く片付けたいという気持だった」と証言する。また、J副社長は、「本件当時、X問題については、会社として固まった方針はなく、F1会長とF2社長が違った動きをし、違った考えを持っているという状態であったが、それでは現場が困るので、我々技術部門の役員は、「桃尾弁護士を中心にやって行こうということで大体一致していた」、「桃尾弁護士の基本方針は、五二パーセントの株でもって総会を乗り切ろうということだった」と証言する一方、「営業的にはかなり打撃を受けつつあったので、早く解決したいということは何度も言っていた」、「定時総会を五二パーセントで乗り切ろうという点については皆一致していたが、できるだけ早いうちに次の手を打たなければならず、要するに、Xのバックにいる者と話を付けて、できるだけ早くXが株を手放す方向へもっていきたいということであった」と証言する。更に、F2社長も、「株の行方については、仕手屋にいつまでも持たせておくのは、会社としても非常に不安定な状態なので、なんらかの方法で安定株主に持ってもらうように会社としても努力しなきゃならんという問題意識は持っていた」、「こういう意識は、末端を含めて会社全体の意思であった」と証言する(そもそも、検察官調書の本文には「長期持久戦」という用語がしばしば登場するが、本件当時の國際航業の内部資料には、「株はめ込み」や「総会対策」といった用語は散見されるものの、「長期持久戦」なる用語は見当らない)。

第七に、⑪のとおり、國際航業がM弁護士と顧問契約を締結していることを指摘することができる。すなわち、同社には既に顧問弁護士として桃尾弁護士がいて、Xの株式問題の処理に当たっていたのであるから、長期持久戦の下に株主対策を行うだけであれば、新たにM弁護士と顧問契約を結ぶ必要はないといえる。そして、F2社長やI専務の証言等関係証拠によれば、M弁護士の顧問就任は、Gらの株買取り工作と表裏一体をなすものと認められるから、右の事実は、当時國際航業の首脳陣が右の工作を容認していたことを強く推認させるものである。もとより、この顧問契約締結は、被告人両名が積極的にF2社長らに働きかけた結果であるが、これには従来長期持久戦を主張していた桃尾弁護士も賛成しているのであり、長期持久戦と株買取り策が両立しうるものであることを裏付けている。なお、桃尾弁護士は、F1会長ら首脳に長期持久戦と総会対策の重要性を進言していたのであるが、同弁護士は、専ら商法上の観点から助言をしていたとみられるのであり、同弁護士の助言のとおり同社の方針が確立されたとみることはできない。

最後に、前記三で認定したとおり、昭和六三年に入ると、國際航業においては、こうした株買取り策に向けた具体的な動きは影をひそめるのであるが、同年二月九日ころ開かれた対策会議やM弁護士の顧問就任等の事実をみると、依然として株買取り策が模索されていたことが窺えるのである。逆に、同年に入ってから國際航業が長期持久戦の方針を新たに打ち出したことを窺わせる証拠は何ら存しない。結局、この表面上の変化は、DがXの信頼を失い、代わってXの代理人となったEが、F1会長を懐柔してX側に寝返らせ、株式の過半数を制してX側が経営権を奪取するという戦略を採用したことによるものとみるべきである。そして、國際航業側としては、DがXから解任されたことにより、X側から株式を買い取るための重要なルートを当面欠くことになったので、株主総会対策として、防戦買いによって取得した株式の議決権を行使しうる状態に置くため、株のはめ込み工作を行わざるをえなくなったとみるのが相当である。むしろ、同社においては、株買取り策による株問題の早期解決が、確固たる方針とはいえないにしても、一貫した底流としてあったということができる。

4  以上のとおり、國際航業には、検察官が主張するような、株買取り策を排斥する意味での長期持久戦の方針があったとは認められず、右の株買取り策へ向けた被告人両名の工作、さらに被告人両名の本件各金員の支出は、会社の方針に反するものであったといえないどころか、まさに委託者本人である國際航業の方針に沿ったものということができる。

なお、F1会長がX側に与したことが明らかになって以降は、情勢が一変し、國際航業において、長期持久戦などという悠長なことは言っておれず、X側からの早期の株買取り策が緊急かつ最優先の課題になったことは、後述するとおりである(八項参照)。

五  被告人両名の金員支出に関する権限について

1  ③のとおり、被告人甲は、従来から受注等に関する國際航業の機密費を管理し、上司の決裁を得なくてもある程度の支出をする権限を有していたと認められる。確かに、國際航業の取締役会規定によれば、重要な資産の譲渡あるいは多額の貸付又は債務保証は、取締役会の付議事項とされており、同社の職務分掌・権限規定上は、三〇〇〇万円を超える資産の取得及び譲渡は、稟議によって代表取締役の決裁を受けなければならないとされていた。しかし、J副社長の証言等の証拠によれば、この種の規定は、同社が東証第一部に株式を上場するために、証券会社の助言により制定したもので、実態を反映したものではなく、また、制定後必ずしもこれに則って事務処理がされていたわけではないと認められる。したがって、これを根拠に被告人甲が本件で金員を支出する権限がなかったと断定することはできない。

2  本件各金員の支出のうち、別紙3の1及び2記載の合計三〇〇〇万円については、同社の職務分掌・権限規定上も、稟議による代表取締役の決裁を要しないものである。裏工作資金としての性質上、他の日常的支出と同視しうるものではないとしても、この時点では、被告人両名とGらとの間で、まだ経費と報酬に関する合意ができておらず、Gらに対する支出の総額がいくらに上るかも明らかになっていないのであるから、右支出につき被告人甲に権限逸脱があるとはいえない。したがって、別紙3の1及び2記載の支出は、少なくとも別紙3の3以降及び別紙4記載の各支出とは異なって、被告人甲の一般的支出権限の範囲内にあり、F2社長の承諾の有無にかかわらず、同被告人に支出の権限があったと認められる。

3  これに対し、別紙3の3以降の及び別紙4記載の各支出は、いずれも金額が一億円以上であり(別紙4の2記載の支出は、五〇〇〇万円であるが、これは、Hからの一回の要求に基づき、別紙4の3記載の支出と二度に分けて支出したものであるから、両者を合せて評価すべきである)、同社の職務分掌・権限規定上は、代表取締役の決裁を要するものである。確かに、右規定が制定の当初から形骸化しており、被告人甲が従来から國際航業の機密費を管理し、上司の決裁を得なくてもある程度の支出をなしうる権限を有していたことは、既に述べたとおりである。そして、I専務の検察官調書(甲74)によれば、同人は、自らが統括すべき立場にある経理部の所管事項について、経理事務に通暁する被告人甲に任せていたほか、自らが代表取締役を務める東洋リースからの金員の支出についても、被告人甲の判断に異を唱えることをせず、同被告人の上げてきた決裁書をそのまま決裁していたことが認められ、さらに、I専務の検察官調書(甲75)によれば、國際航業では被告人甲が経理部長に就任した直後の昭和五七年八月以降数次にわたって、有償一般募集や転換社債の発行等により増資を繰り返していたが、これらはいずれも同被告人が発案して実行し、これにより同被告人がその実力を実証した形となって、F1会長やF2社長らの首脳陣から絶大な信頼をかち得るようになったことが認められる。これによれば、被告人甲が増資のような高度の経営判断に係る事項にも関与し、実質的にかなり広範な支出権限を有していたようにも窺われるところである。しかし、そうだとしても、被告人甲が東洋リースからの金員の支出について一切の権限を委ねられていたとまでみることは無理であり、この種の裏金を一取締役に過ぎない被告人甲が青天井で支出する権限があったというのも、常識に反するといわなければならない。被告人乙は、公判において、被告人甲は、防戦買いの際に上司の個々の決裁を得ることなく数百億円に上る資金を借り入れて自社株買付けを行っていたので、Gらに対する金員の支出を異常と思わなかったと述べる。しかし、一々上司の決裁を得ていたのでは時期を失する恐れがあったことから緊急性が高く、かつ、会社防衛のためにはやむをえない手段である防戦買いにおける借入れと、たとえX側から会社を守るためとはいえ、いわゆる事件屋と思われるGらのような人物に対する金員の支出とを同一視することは適当でない。

したがって、別紙3の3以降の各支出は、被告人甲の一般的支出権限を超えるものとの疑いを否定できないので、これらの支出については、さらに、被告人両名がF2社長等の承諾を得ていたか否かを検討し、被告人両名の具体的支出権限の有無を判断することとする(被告人甲解任前の別紙3の支出については、次の六項で、解任後の別紙4の支出については、別に後記八項でそれぞれ説明する)。

六  本件各金員の支出についてのF2社長等の承諾の有無について

1  被告人両名による本件各金員の支出のうち、別紙3の被告人甲が國際航業の取締役在任中の合計八億九五〇〇万円は、昭和六三年二月二日ころから同年四月一一日ころまでに前後四回の要求に基づき六回にわたって交付されたものであるが、関係証拠によると、この間の同年二月八日ころ、被告人甲は、F2社長に会って、GらにX側からの株買取り工作を依頼した旨報告したこと、被告人両名は、同年三月一八日、F2社長とI専務をGとHに引き合わせたことが認められる。

この点に関し、被告人甲は、公判において、(a)Gらから最初に金を要求された同年一月二九日ころ、F2社長にGらへの工作の依頼を報告し、費用がかかることも話したところ、F2社長は「そうか」と言って承諾し、(b)Gらとの間で裏工作の経費及び成功報酬について合意に達した同年二月八日ころにも、このことをF2社長に報告したところ、F2社長は「四〇〇万株ないし六〇〇万株でいいのではないか」と答えたが、被告人甲が「一七〇〇万株全部でないと銀行の協力が得られません」と言ったところ、F2社長も了解したと供述する。これについて、検察官は、右の(a)と(b)の時期はいずれもまだF2社長が事実上社長職を解任されていた時期であるので、その承諾を得ても無意味であるから、被告人甲が上司としてF2社長の承諾を得ようと考えたはずがないと主張する。

2  確かに、⑦のとおり、被告人甲がF2社長から承諾を得たとする時期は、いずれもF2社長が事実上社長職を解任されている状態であったし、特に、同年一月二九日ころは、同月上旬にF1会長がJ副社長と被告人甲にF2社長が両名を辞めさせようとしていると伝えたため、同被告人がこれを信じてF2社長に対する不信感を抱いていた時期があって、F2社長の承諾を得ようとしたとは考えにくい。また、被告人甲の供述するとおりであったとしても、右(a)程度のやり取りで、F2社長が工作資金の支出について承諾したとみることも困難である。

これに対し、同年二月八日ころには、同月五日ころにF2社長が被告人甲に同被告人を辞任させるという噂は事実無根であると釈明したため、同被告人は、F2社長に対する誤解が解け、逆に、F2社長を陥れてまで自ら社長に復帰しようとしたF1会長を警戒するようになったというのであるから、時期的に被告人甲がF2社長の承諾を得ようと考えたとしても不自然ではないというべきである。

この点について、被告人甲は、検察官調書(乙42)において、「Gらとの間で、裏工作の経費及び成功報酬について合意に達した同年二月八日ころの後ほどなく、覚書のコピーをもらうためにF2社長に会い、Gらに活動を依頼したことを報告したが、その際、経費及び成功報酬の額やこれをX側からの買取り価格の中に含ませることは伝えなかった。なぜなら、第一に、私としては、途中で上司から横槍を入れられないよう、当分の間私限りで事を進める腹であり、第二に、この時期には、株買取りの話は現実化しておらず、成功報酬や経費の件を上司に報告できるだけ話が詰められていなかったし、第三に、F2社長は、当時いずれ社長を辞任することが予定されており、社内的に発言権を全く失っていたから、この段階で成功報酬や経費の件で了解を得る意味はなかったからである」旨供述する。このうち、報告の時期が同月八日ころである点は、Gから要求された覚書のコピーをもらうためという具体的理由が付せられていることからして、真実であると認められる。しかし、第二の理由については、株買取りの話は現実化していなかったとしても、必ずしも成功報酬や経費の件を上司に報告する障害となるものではないし、第三の理由は、前述のとおり、この時期に関しては、それほど有力な根拠となりえないものである。結局、被告人甲の右検察官調書によれば、同被告人がなぜGらに裏工作を依頼していることを報告した機会に成功報酬や経費の件を秘匿しなければならなかったのかという理由は、薄弱であるといわざるをえない。したがって、この検察官調書の内容をそのまま信用することはできない。なお、この検察官調書によれば、被告人甲が後に同年三月中旬に至って報酬や経費の件をF2社長に報告したこととなるが、検察官は、論告において、その理由について、当時Gから会社の委任状の交付を求められており、復権しつつあったF2社長を巻き込んでおく必要があったと主張するが、そもそも被告人甲がF2社長を巻き込むとはいかなることを意味するのか、また、巻き込んでおくことにいかなる意味があったのか、理解しがたいところである。

ところで、F2社長は、検察官調書(甲72)において、「同年二月中旬か下旬ころ、被告人甲がどこかに独自にX対策を頼んでいるらしいことを言っていたが、どこに頼むか名前を言わなかったと思う。同年三月中旬ころ、被告人甲が、GとHの名刺を持って来て、Gらに裏工作を依頼しており、その経費及び成功報酬を一株当たりそれぞれ五〇円及び一〇〇円とし、これをX側から國際航業株を引き取る価格に上乗せすることにしたと聞いた」旨供述する。この供述は、被告人甲からGらの工作の経費及び成功報酬の額や支払い方法について聞いた時期の点では、被告人甲の前記検察官調書と符合している。しかし、被告人甲の検察官調書では、Gらの名刺を渡してGらに活動を依頼したことを報告した時期が同年二月八日ころになっているのに対し、F2社長の検察官調書では、同年三月中旬ころになっており、微妙に食い違っている。Gの検察官調書(甲61)等の証拠によれば、被告人甲との間で裏工作の経費及び成功報酬について合意に達した同年二月八日ころの後ほどなく、Gらは覚書のコピーを入手したと認められるので、同月八日ころ覚書のコピーをもらうためにF2社長に会ったという被告人甲の前記検察官調書は、裏付けがあり、信用性が高いというべきである。これに対し、F2社長の前記検察官調書は、Gらへの工作の報告を受けた時期に関する限り、F2社長自身ダイアリーによって裏付けられていないと供述するように、信用性が高いとはいえない。しかしながら、F2社長の前記検察官調書は、Gらへの工作の報告を受けた際の被告人甲とのやり取りに関しては、被告人甲の公判供述とほぼ一致している。しかも、F2社長のこの供述は、具体的なものであり、他の機会の出来事と混同をきたしているとはみられない上、同人の供述には、全体として被告人甲をかばう態度がみられないから、F2社長の右供述部分は、信用性が高いと認められる。結局、同月八日ころGらへの工作を報告した機会に、経費及び成功報酬の額等についてもF2社長に伝えて承諾を得たという被告人甲の公判供述は、内容に不自然なところもなく、右のとおり裏付けもあるので、信用できるというべきである。

3  F2社長は、検察官調書(甲72)において、「被告人甲からは成功報酬でよいと先方が言っていると聞いたので、成功するまで金を出さなくてもよいと理解した。この時点で、資金がGらに出されていることは、全く聞いていなかった」と供述し、公判においても、「被告人甲の報告を聞いたとき、GやHは事件屋でプロであり、報酬が手に入るか入らないかは分からないが、その間にかかる費用は、当然彼らの負担で、一種の危険負担をしているものと思った。当時、被告人甲の成功報酬という条件をそのとおり理解し、だめなら何も負担はないし、うまく行けばそれなりの報酬を支払えばいいと理解した」と証言し、I専務もこれとほぼ同旨の証言をしている。そして、被告人両名が既にGらに三〇〇〇万円を支出していることをF2社長に告げていないことは、被告人甲も争わないところであり、同被告人がGらの報酬が成功報酬であると告げたこと、それまでの経費については特に説明していないことも、I専務の証言等からして、事実であると認められる。しかし、F2社長らの右のような供述をそのまま信用してよいかは、甚だ問題である。

すなわち、前記四のとおり、國際航業にはX側からの株買取り策の方針もあったと認められるが、Xという名うての株買占め屋から株を買い取ろうとする以上、正攻法で容易にそれが実現するとも思えず、いわばからめ手から裏工作を講じる必要があるというのは、被告人両名はもとより、F2社長やI専務においても、共通の認識であったと考えられる。被告人両名がGやHという怪しげな人物を信頼してF2社長らに会わせ、F2社長らがあえてこれらの者に会ったのは、このような者でなければX側に対抗して裏工作を行うことができないという認識があったと理解しうるのであり、F2社長が他人の目に触れることをはばかるXとの覚書のコピーを、被告人甲を介してGらに交付したということは、F2社長がGらを信頼し、その工作に期待をかけていたことの現われとみることができる。また、F2社長やI専務という同社の最高首脳がGらに会ったということ自体、同社としてGらに裏工作を依頼したことを意味するものにほかならない(被告人甲の検察官調書にあるように、右会合が単にGらがF2社長を激励するという程度の意味を有するにすぎないとは、到底いえない)。

そうすると、いわゆる事件屋と思われるGやHがX側から株を買い取るための裏工作を依頼された場合、報酬が成功報酬であり、それまでの費用は手弁当でいいという、國際航業にとってはまことに都合のよい条件で裏工作を引き受けるとは、およそ考えられないのであって(Gも、検察官調書(甲61)において、「Hも私と同じ理解だったと思うのですが、私としては必要がある都度報酬分を含む活動費や工作費を國際航業から出してもらうつもりでありました」と供述している)、F2社長らの供述にはこの点において根本的な疑問がある。むしろ、通常の経営者の感覚からすれば、そのような事件屋が経費と称して金員を要求して来ることは目に見えており、逆に、そのような事件屋にあえて裏工作を依頼するからには、ある程度の出費を覚悟する必要があると考えられる。したがって、成功報酬でよいというので、成功するまで一切金を出さなくてもよいと理解したというF2社長の供述は、余りにも虫の良い話であって、東証一部上場企業の社長の言とは思われないところである。F2社長やI専務は、その供述如何によっては本件各金員の支出についての責任を追及されかねない微妙な立場にあったことをも併せ考えると、F2社長やI専務の前記成功報酬の理解等に関する供述は、F2社長らの経営者としての資質に問題があることを考慮に入れても、自己の責任を回避しようとしてなされた疑いが濃厚であり、信用しがたいというほかない。

なお、F2社長は、検察官調書(甲72)において、⑬のとおり同年四月二三日ころ被告人甲を森田峻に引き合わせた際に、Gらと付き合わないよう申し渡したと供述する。しかし、その後のF2社長の対応をみると、Gらの工作を止めさせるよう積極的に動いた形跡は認められない。この会合について、被告人甲は、検察官調書(乙46)において、森田は、Gには前科があるので気を付けるよう被告人甲に言っていたが、F2社長は、黙って聞いているだけであり、「社内が混乱していて甲君も大変だと思うけど、ここは一つ頼んだぞ」などと言って、被告人甲を励ましたと供述する。この被告人甲の検察官調書の内容は、基本的に自白している中での供述であり、特に信用性を疑うべき根拠もないのに対し、F2社長の供述は、前述のとおり責任回避の疑いが濃厚であり、信用できないというべきである。

4  被告人甲がGらへの金員の支出についてF2社長ら上司から承諾を得ていたことを窺わせる事実は、他にも指摘することができる。

その第一は、⑪のとおり、同年三月一八日にF2社長とI専務をGとHに引き合わせたことである。被告人甲の検察官調書(乙44)には、被告人乙が支出がF2社長らにばれることを心配したが、Gらの金の話について口止めすることは、自分たちが勝手に動いていたことを認めるも同然で、今後の工作に悪影響を及ぼし、自分たちの弱点を握られることになりかねないので、被告人乙に「金の話は出ないと思うよ。もし出ても、成功報酬と経費を引取り価格に上乗せして精算することになっていると話しておくから、何とか説明が付くだろう」と答えたとなっている。しかし、GらがF2社長と会えば、金員の支出を話題にしないという保証はないのであって、金員の支出をF2社長に隠しておきたいのであれば、そもそもF2社長をGらに会わせる必要はないし、会わせるとしても、当然Gらを口止めしておくべきであり、これをしないまま会わせるのは余りにも危険というべきである。右の検察官調書の内容は、いかにも苦しい説明であって、到底信用することはできない。結局、被告人両名がGらに口止めをしないままF2社長らと会わせたということは、被告人両名が金員支出の事実についてF2社長らに知られることを恐れていなかったことを推認させるものである。

その第二は、⑮のとおり、同年五月中旬にGらに対する五億円の支出が表面化した後も、被告人両名が全く責任をとらされていないし、F2社長やI専務から強く叱責されてもいないという点である。それどころか、被告人甲は、株主総会が会社ペースで終了した後の同年七月一日付けで、東洋リース代表取締役就任予定に発令され、事実上の昇格人事まで受けているのである。F2社長は、この点について、検察官調書(甲73)において、「甲に『五億円ほど出ているようだね』と言って水を向けると、甲はギクッとしておりました。私の本音としては、なぜこんな金をHやGに出していたんだと叱りつけてやりたかったのですが、甲を協力者にしておきたかったので、トーンを下げてこのような柔らかい言い方をしたのです」「その場で甲をさらに追及し、叱りつけてやりたかったのですが、私には一旦喧嘩をすると、とことんまで相手とやりあい、その相手とは以後絶対に仲直り出来ないという性分がありますので、私の協力者にし続けたいと思っている甲と喧嘩をしたくないという気持ちがありました。それと同時に、いまさら甲を追及したり叱ったとしても、甲がHやGに出した金が戻ってくる可能性がないと思ったので、それ以上甲を追及しなかったのです」「甲は出来るだけ國際航業に近いところに置き、しかるべき地位に付けておきたかったので他の役員と相談し、甲を東洋リース代表取締役にする予定にしました」と供述し、公判でも、被告人両名にGらとの付合いをやめさせ、これ以上の支出を阻止することに主眼があったので、被告人甲らの責任を追及しようとは考えなかったなどと、検察官調書とほぼ同旨の証言をする。しかし、被告人甲が無断でこれだけ多額の支出をしたとなれば、たとえF2社長にとって同被告人がX問題に対処するために余人をもって代えがたい人材であったとしても、その責任問題を放置することは、他の社員の士気にも関わることであって、到底許されないはずであり、まして昇格的人事を発令するというのは、常識的に理解しがたいことである。また、被告人甲と喧嘩をしたくなかったのでその責任を追及しなかったというF2社長の供述は、子供の喧嘩であればともかく、東証一部上場企業の社長が無断で多額の支出をした部下を叱る場合なのであるから、到底納得できるものではなく、全く信用できない。

5  検察官は、Gらが申し出た条件は、経費及び成功報酬の合計額が二五億五〇〇〇万円という國際航業の年間の経常利益にも匹敵する高額なものであったから、被告人甲がF2社長の承諾を得ようとしたならば、その報酬及び経費のみならず、手段、方法及び実現可能性を含めた詳細を報告し、その充分な了解を得た上でその承諾を得る必要があるのに、被告人甲がそのような詳細な報告をした形跡がないこと、担当者としては、失敗した場合の支払いについても充分検討し、F2社長にも報告すべきであるのに、そのような検討すらしていないことを取り上げて、本件各金員の支出についてF2社長の承諾はなかったと主張する。

しかし、経費及び成功報酬の合計額が二五億五〇〇〇万円という額に上るということは、F2社長が被告人甲から報告を受けた時点で容易に算出することが可能であり、東証一部上場企業の社長であれば、買取り工作の手段、方法及び実現可能性については、被告人甲から説明を受けなくても、当然関心を持つべきであって、同被告人が述べた程度のことでも、本件各金員の支出について充分判断を下すことは可能であったというべきである。したがって、手段、方法及び実現可能性について詳細な報告をしなければ承諾を得たことにならないという検察官の主張は的を射ていないと思われる。被告人両名はいずれも、公判において、國際航業では受注等の裏金工作の際に、会社の首脳陣に累が及ばないようにするため、首脳陣には裏金工作等を知らせないまま、それ以下の営業部長や経理部長限りで処理するという慣行が出来ていたと供述するところ、これは、分離前の共同被告人Bの公判供述等とも合致し、事実であると認められる。また、一般に、総会屋に対する便宜供与や贈賄、選挙の買収資金等の違法な支出について、企業等の実務担当者が一々企業の首脳に了解を得るということは、支出先の者の地位が高いといった特段の事情のない限り、考えがたいところである。本件においては、各金員の支出が直ちに違法なものであったとはいいがたいが、それが裏工作のための資金であることから、被告人両名が右のような慣行と同様、会社の首脳陣に累が及ばないようにするため、具体的金額や手段、方法について上司の耳に入れない方がよいと考えたとしても、あながち不合理ではなく、かえって、検察官の主張するような詳細な報告を要求するのは、本件金員の支出の性質からして、常識的でないとも思われる。

経費及び成功報酬の合計額の二五億五〇〇〇万円について、検察官は、これがいかにも多額であるかのように主張するが、被告人乙が公判で供述するように、X側に國際航業が乗っ取られた場合の損害が、信用の失墜に伴う売上げの減少や人材の流出等により、数十億円に止まらないことは、その後の事態の推移によっても明らかである。また、國際航業は、X側に対抗する防戦買いに数百億円を投じていたのであって、これと比較しても、右の額がそれほど多いとはいえない。したがって、右の額は、決して少ない額ではないが、かといって、これをいたずらに過大視することも相当でない。

さらに、X側からの株式の買取り価格については、前記のとおり、一株当たり三〇〇〇円プラススカイビル譲渡という案が、國際航業の首脳陣の間で概ね了承されており、これを一株当たりに換算すると、約四〇〇〇円となるのであり、F2社長も、公判において、「一株三〇〇〇円ないし四〇〇〇円、つまりリミットを四〇〇〇円と考えていた」と証言する。これによれば、Gらの経費及び成功報酬の合計額が相当な額に上るとはいえ、これを含む買取り価格は、一株当たり三五〇〇円に止まり、右の金額の範囲内に収まっているのであるから、右の案は、國際航業にとってかなり有利な案ということができる。したがって、Gらの経費及び成功報酬の点だけを取り出して、その金額の多寡を論じるのは、適当でない。

また、被告人両名が失敗した場合の支払いについて検討していなかった点については、被告人両名が公判で供述するように、Hらの紹介者であるLが住友銀行で國際航業を担当していた者であり、國際航業においては同行を退職後も得意先として信頼されていた人物であったことに加え、Gらが誠備事件等を引合いに出して自分たちの実績を強調して、今まで失敗したことがないと自信を示したことや、Gが被告人両名を自民党の代議士の事務所や東京証券取引所の売買管理室に案内したほか、知合いの警視庁捜査第四課の捜査官を國際航業に来させるなどして、人脈を誇示したことなどが相まって、被告人両名がGらの株買取り工作が必ず成功するものと思い込んだため、冷静な検討を怠ったと考えることができる。したがって、この点に関する検察官の指摘も、その主張する結論には結び付かないというべきである。

6  さらに、被告人甲の本件各金員についての具体的支出権限の有無に関して、問題となりうる点についての説明を付加しておく。

第一に、被告人甲がF2社長から金員支出についての承諾を得た同年二月八日ころは、⑦のとおり、F2社長が事実上社長職を解任されていた時期であるので、その承諾を得ても、代表取締役としての有効な承諾といえないのではないかという点である。しかし、F2社長が社長職を外されたといっても、取締役会において正式に権限が停止されたわけではなく、事実上休職扱いとされたに過ぎず、それであるからこそ、同年三月以降なし崩し的に復権したとみることができる。したがって、F2社長の権限は、同年二月八日ころも、法的には制限されておらず、同人の承諾は、依然として有効な代表取締役の承諾であったというべきである。

第二に、被告人両名が、Gらへの金員の支出についてF2社長の承諾を得たのみで、それ以外の首脳部の承諾等を得ていなかったとすれば、この点も問題となる余地はあろう。しかし、I専務に対して被告人甲が金員の支出について了解を求めたかどうかについては、同被告人自身公判において記憶にないと供述するところであるが、前記のとおり、I専務は、F2社長と一緒にGらと会っているのであるから、Gらに裏工作を依頼することについて、事前に被告人甲から報告を受けて了解していると認められる。そして、I専務としてもGらとの面会状況からある程度の出費を伴うことが予想できたことは、F2社長の場合と同様であり、I専務も、本件各金員の支出について少なくとも黙示の承諾を与えていたと推認することができる。このように、被告人甲は、本件各金員の支出について、管理部門の上司であるF2社長及びI専務の明示もしくは黙示の承諾を得ていたのであるから、國際航業の職制上、一応問題はないというべきである。加えて、本件各金員の支出は、機密費としての性質上、みだりに公にすべきものではない上、取締役のBが当時X側に付いていることが明らかであったし、代表取締役のF1会長についても、⑩のとおり、同年三月以降Eと接触するなどして、X側に通じているのではないかという疑惑が持たれていたから(被告人甲の公判供述やRの証言によれば、F1会長については、それ以前の昭和六二年中から、X側の買占めによって自社株が高騰したので、自己の持ち株を売却したり、F一族の持ち株会社である株式会社ミヤマの代表権をF2社長から奪うなど、会社防衛の見地からは首をかしげざるをえない行動が続いていたことが認められる)、本件各金員の支出について取締役会やプロジェクトチーム等の機関決定を得ようとするとか、F1会長に承諾を求めようとすれば、これらの者を通じて情報がX側に筒抜けとなる懸念があったのである。また、J副社長は、代表権を持っていたものの、もともと技術畑の出身であり、株式等管理部門の問題については所管外で、被告人甲に任せた状態であった。こうした中にあって、F2社長は、覚書問題にみられるように、経営者としての資質に問題がないとはいえなかったが、X側との対決姿勢を鮮明に打ち出し、首脳陣の中で最もX問題の解決に積極的であったから、被告人甲が上司の明示的承諾としてはF2社長のそれを得たのみで、本件各金員の支出に及んだのも、肯けるところであり、必ずしも不当と責めることはできない。

第三に、被告人両名が別紙3記載の3以降の個々の金員支出についてF2社長の了解を得ていない点も問題となりえよう。しかし、前記認定のとおり、株買取り策が國際航業の方針に沿ったものであり、F2社長から、裏工作の経費及び成功報酬を一株当たりそれぞれ五〇円及び一〇〇円という総額について包括的承諾を得ているのであるから、個々の経費の支出は、いわば内払いとしての性質を有するものである上、首脳陣に累が及ぶのを避けるという國際航業の機密費についての処理の慣行に照らしても、これについて一々上司の承諾を得る必要はなかったというべきである。

7  以上のとおりであって、被告人両名には、別紙3記載の3以降の金員の支出について、一般的支出権限はなかったものの、F2社長の包括的承諾により、具体的支出権限が与えられていたとみるべきである。

七  甲解任前における被告人両名の金員支出の意図について

1  右にみたとおり、別紙3の1及び2の金員支出は被告人甲の一般的権限の範囲内であり、別紙3の3以降の金員支出もその具体的権限の範囲内であったので、同被告人にはもとより、同被告人の部下として共同して各金員の支出を行った被告人乙にも、別紙3の各金員の支出について権限の逸脱はなかったということができる。しかし、事案の性質上、右の各金員の支出に至った被告人両名の意図ないし動機についても、検討を加えておきたい。

2  検察官は、前記のとおり、被告人甲がF一族側とX側に対する二重の裏切り行為をしていたため、X側が國際航業の経営権を握った場合には、X側に対する裏切りのために役職を直ちに解任されることが必至であった上、F一族側に対しても、当初のX側に対する内通の事実を隠蔽する必要があり、このことがX側から早期に國際航業株を買い取ろうとして、Gらの裏工作のための支出をする動機となったと主張する。

確かに、被告人甲は、③のとおり、当初Xの話を信じ、DやBにも乗せられて、Xに協力して國際航業の経営権を握ろうという野望を抱いたこと、⑥のとおり、Dから約二億三〇〇〇万円の分配を受けたことが、X側に対する弱味となっており、これらのことが、X側の乗っ取りを防ぐとともに、自らが個人攻撃にさらされて失脚するのを防ぐため、早期に株問題を解決したいという動機となりうるものであったことは否定できない。

このうち、Dからの現金の分配は、インサイダー取引にも当たり、弁解の余地のないものであるが、X側に乗っ取られると役職を解任されるので、これを防ぎたいというのは、F2社長やJ副社長ら國際航業の当時の経営陣に共通する思いであり、何も被告人甲だけが思っていたことではない。また、被告人甲がXに協力して國際航業の経営権を握ろうという野望を抱いたのは、被告人甲がXの意図を見抜く前のことであり、Xの話を信じてその気になったのは、被告人甲の助力があったとはいえ、F2社長も同断であり(F2社長がXとの共同経営構想に当初同意したのは、被告人甲が賛成したからではなく、F2社長が自身がXと面会した際に説得されたことによるところが大であることは、F2社長の検察官調書(甲67)によっても明らかである)、被告人甲のみが特に責められなければならない理由はない(この点からすれば、Xの真意を充分知りえたのに、自らが支配する株を譲渡してX側に寝返ったF1会長が、最も責められるべきであろう)。しかも、被告人甲は、昭和六二年七月下旬ころXの共同経営構想を聞かされたころから、Xが國際航業をよくするどころか、同社を食い物にするのではないかという懸念をいち早く感じて、Xから心が離れ(このことは、同被告人の検察官調書(乙5)の「Xから持株会社による買取資金一〇〇〇億円を國際航業で調達するように要求され、私は、Xは、こういうやり方で買い集めた株を会社側の負担で処分し、なおかつ会社の経営に加わるという一石二鳥を狙うのだなと、初めてXのカラクリを知ったように思った」という供述にも現れている)、自ら率先して防戦買いを実行したのであって、Xに乗せられて協力させられたという当初の落ち度は、防戦買いの実行等によって、かなりの程度償われたというべきである。

ちなみに、J副社長やI専務の証言等関係証拠によれば、國際航業においてX側に対抗して防戦買いを最も精力的に行い、株式の安定化に腐心していたのは、被告人甲であり、F1会長、F2社長、J副社長やI専務といった首脳陣は、株式問題については、被告人甲に任せきりといった状態であり、同被告人抜きにX問題に対する國際航業の方針を論じることはできないという実情にあったと認められる。仮に、被告人甲が、検察官の主張するように、X側と國際航業側に二股をかけていたのであれば、防戦買いを手加減するなり防戦買いの情報をX側に漏らすなりして、X側に過半数を取らせ、自らは、國際航業の担当者として一応努力したが力及ばなかったという格好だけ付けることも充分可能であったと考えられるのであり、X側に隠密に防戦買いを進めた結果過半数を取ったということは、取りも直さず被告人甲がX側と本気で対決する姿勢であったことを物語っている。事実、被告人甲は、防戦買いで國際航業側が過半数を制して以降、X側の便宜を図った行動は見られないし、⑥や⑧のとおり、Dから再三株式を譲渡するよう求められたのを拒否しているのである。

3  本件は、X側の國際航業株買占めに対する会社側の反応として生じた事件であるから、当時の被告人甲の置かれた立場を理解するためには、X側から一連の事態の推移をみてみることも有益と思われる。そこで、前記三の事実の経過におけるX側の動きを、これまでの認定を踏まえてまとめると、おおよそ以下のようになるであろう。

(一) 國際航業株の買占めに先立ち、同社の若手幹部で現首脳陣に不満を抱くB及びこれと親しい関連会社の代表取締役のDに接近するとともに、同社に関する情報を収集する。

(二) 次いで、右の両名を通じて、國際航業の経理部門の実力者である被告人甲と知り合い、同被告人の取込みを図る。これらの者が國際航業を経営できるようにしてやると甘言を振りまき、その協力を取り付けた上で、同社株の買占めを実行し、半数近い株式を確保する。

(三) F1会長とF2社長の不和を衝いて、F2社長を籠絡し、保有する株式を背景に、共同経営構想に同意させる。その上で、S代議士を利用して、F2社長に有無を言わさず共同経営の覚書に署名させる。

(四) F2社長が覚書を反古にして敵対的態度を取ると、今度は、代理人のDを介してF1会長に働きかけ、覚書の実行を迫り、F2社長が実権を奪われ、追い落とされるように図る。

(五) 当初の協力的態度を翻し会社側に立って防戦買いを成功させた被告人甲に対しては、Dが脅しをかける一方、甘言を用いるなどして、硬軟両用の揺さぶりをかける。Dは、被告人甲を引き止めるための工作資金の意味をも込めて、現金二億三〇〇〇万円余りを同被告人に交付する。

(六) 國際航業側に過半数の株式を確保された事態の打開を図るため、Dを通じて保有する株式の高値売抜けを会社側に持ちかける(ただし、自分に近いP会長に買取り資金を融資させることにより、間接的に影響力を保持することを狙う)。

(七) F1会長に対して、その私的秘書のTを通じて接近を図る。

(八) 事態の打開を図れないDを解任し、代って暴力団ともつながりのあるEを代理人とする。

(九) Eが被告人甲に対し、脅迫したり甘言を用いるなどして、翻意を促す。これと並行して、Eを通じて、被告人甲が(二)及び(五)の裏切り行為をしたとF1会長に吹き込む一方、内外タイムス等のマスコミに右の情報を流して、同被告人の弱味を暴露する。この結果、F1会長は、被告人甲を辞任に追い込む。

(一〇) F1会長の取込みに成功し、その支配する株式の委任状の交付を受ける。

以上の事態の推移を通覧すると、X側にとって被告人甲は、単に自分たちを裏切ったというだけでなく、國際航業の株式問題を担当する要であって、X側にとって目の上の瘤のような存在だったと考えられる。このため、被告人甲に対して、X側から執拗とも思える硬軟両用の攻撃が加えられているのである。そして、被告人甲の弱点といわれているものは、いずれもX側が仕掛けて形成されたものであり、被告人甲を追い落とすための材料として利用されたということができる。

4  結局、被告人甲は、前記のとおり、國際航業の首脳陣から的確な指示が得られない状況にあって、いわば会社を代表して、X側からの攻撃に耐え、X問題の解決に全力を尽くしていたと考えられるのである。したがって、被告人甲にとって、Dから二億三〇〇〇万円余りの分配金を受け取ったことや当初X側に協力したことが弱味となっていたとしても、このこと故に、会社の方針に反して株式を早期に買い取ろうとしたことはなく、また、個人的動機のために会社の利益を犠牲にすることもなかったと認められる。それゆえ、被告人甲の本件各金員の支出も、専ら会社のためにする意思によるものであったことは動かしがたいというべきである。

5  他方、被告人乙には、被告人甲とは異なり、X側への協力であるとかDからの現金の受領といった弱味は一切存しないのであり、Gらに金員を支出するについて、固有の個人的動機は存しなかった。

検察官は、被告人乙が被告人甲の取締役解任前に同被告人に加担して本件各金員を支出したのは、(1)被告人乙は、被告人甲と一心同体の運命共同体であったことから、同被告人が解任されると自己の地位が危うくなるおそれがあったこと、(2)特に、被告人甲から同被告人がDから現金を受け取った事実を知らされてからは、同被告人がX側に内通していたことが分かり、右現金受領の事実がF1会長等に発覚すると、被告人甲が解任される恐れがあったばかりか、被告人乙もこの時点で被告人甲に協力して既に五億三〇〇〇万円を支出していたことから、自らもF1会長から解任されるおそれがあったことによるものであると主張する。

そこで、右主張についてみるに、確かに被告人乙や被告人甲の検察官調書には、被告人両名が運命共同体であった旨の記載がある。しかし、被告人両名が通常の上司と部下という関係を超えて、特別親密な関係にあったという証拠はない(もっとも、当時の混乱した社内の状況の中にあって、被告人乙とすれば、被告人甲以外に頼るべき上司がいなかったことも事実である)。それどころか、被告人乙は、被告人甲がF1会長から解任された後も、経理部次長としての地位を失っていないばかりか、被告人甲に東京国税局の査察が入り、同被告人が國際航業の関連会社の役職を引責辞職せざるをえなくなった後や、⑳のとおり、X側が株主総会で勝利して最終的に國際航業の経営権を握った後も、同社財務部次長という枢要な地位に留まっていたのである。このように、被告人乙は、F1会長やF2社長はもとよりX側からも、被告人甲と一心同体とはみなされていなかったのである。確かに、被告人乙は、被告人甲がDから現金を受け取った事実をF2社長等他の國際航業関係者が知らない時点で被告人甲から知らされており、その意味で同被告人の信任が厚かったということはできるが、その時点まで約半年の間この事実を伏せられていたのであり、当初X側に協力して國際航業の経営権を掌握しようとしたことについては全く知らされていないのである。このように、被告人甲においても、被告人乙に全てを明らかにしていたわけではなく、同被告人との関係を運命共同体とは考えていなかったのであって、検察官の(1)の主張は、事実の裏付けを欠くといわざるをえない。そして、検察官の(2)の主張もまた、被告人乙の解任のおそれに関しては、同様に理由がない。なるほど、被告人乙が被告人甲から現金受領の事実を告白されて動揺したことは事実であるが、被告人乙が公判で供述するように、当時國際航業がX側と対決している重要な時期であったから、被告人甲を疑うことはせず、従前どおり同被告人に協力して金員の支出を継続していたと認められる。そして、被告人甲について、本件各金員の支出が専ら会社のためにする意思によるものであったと認められる以上、被告人乙が被告人甲の金員支出の意図を知ったところで、それが専ら会社のためにする意思によるものであることに変わりはない。したがって、被告人乙についても、別紙3記載の各金員の支出が委託者本人である國際航業のためにする意思によるものであったことは、明らかである。

八  被告人甲の解任後の金員の支出について

1  ⑮のとおり、國際航業の社内でGらに合計五億円が支出されたまま未回収であることが明るみに出た後、被告人乙がI専務の指示によりHにこれ以上の活動を断わりに行っており、被告人甲の取締役解任後の別紙4記載の各金員の支出について、解任前の別紙3の3以降の各金員の支出のように、F2社長の明示の承諾があったという事実は認められない。

I専務は、検察官調書(甲78)において、右の支出が明るみに出た後、被告人両名に対しそれぞれ、HやGとはもう付き合わないよう申し渡したと供述する。これに対し、被告人乙は、公判において、I専務の指示によりHに工作を断わりに行ったのは、F1会長がX側に寝返ったことが明らかになった時点であって、株主総会で会社側が負けることが確実視されていたので、これ以上F1会長を刺激しないようにという配慮からであり、五億円の支出が明らかとなった後、I専務や桃尾弁護士から事情を聞かれたことはあるが、被告人乙に聞いても始まらないという雰囲気であって、I専務からGらとの関係を断つよう申し渡されたことはないと供述し、被告人甲も、公判において、I専務からGらとの関係を断つようにとの指示があったことを否定している。これについては、前記六のとおり、I専務がF2社長と共にGらと会い、別紙3の3以降の各金員の支出について承諾を与えていたとみられること、I専務が普段からF1会長を恐れており、同人に対して弱腰であったことからすると、I専務が被告人乙に対しHにこれ以上活動しないよう断わりに言ったというのは、被告人乙が言うように、これ以上F1会長を刺激しないようにという配慮によるものと考えられるのであって、I専務の右供述は、自己の責任を回避するためになされたとの疑いが残り、そのまま信用することができるものではない。

F2社長についても、前記六3のとおり、被告人甲をNに引き合わせた際に、Gらと付き合わないよう申し渡した事実は認められず、前記六4のとおり、Gらに対する支出が発覚した後も、被告人両名の責任を追及した形跡はないのである。ところで、F2社長は、検察官調書(甲73)において、被告人甲に支出の事実を確認した際、「もうHやGとは付き合うな。あの連中に金を出すな」などと言って、釘を刺したと供述する。しかし、F2社長は、⑲のとおり、同年九月二一日ころと同年一〇月六日ころの二度にわたって、被告人甲からGらが武富士ルートで株買取りの工作をしているとの報告を受けているばかりか、これに関する情報収集の指示までしているのである。もし、F2社長が同年五月の時点で被告人両名にGらとの関係を断つよう申し渡したのであれば、F1会長の寝返りにより情勢が変化したとしても、Gらによる工作を黙認し、これに期待をかけるというのは、余りにも一貫性がなく虫が良すぎるというべきである。したがって、F2社長の前記検察官調書の供述は信用できないものであり、F2社長が同年五月の時点で被告人両名にGらとの関係を断つよう申し渡したとは認められない。

それゆえ、別紙4記載の各金員の支出についても、F2社長の明示の承諾がなかったとはいえ、その意思に反するものであったということはできない。

2  検察官は、被告人甲が國際航業の取締役を解任された後も、被告人乙が別紙4記載のとおり國際航業の簿外資金から金員の支出を続けた理由について、(1)それまでの支出について被告人乙のみが責任を追及されるのを防ぐため、被告人甲の取締役復帰を望んだこと、(2)X問題が解決した後、被告人乙がF2社長等から民事、刑事の責任を追及される恐れがあったこと、(3)X側から被告人甲がX側と内通していた事実や、Dから多額の現金を受け取っていることが暴露されると、被告人甲が國際航業の関連会社からも解任され、これに伴って、自己の地位が危うくなる恐れがあったことなど、自己保身の動機があったため、会社の方針に反して、被告人甲と共に、Gらに引き続き株買取り工作を依頼したものであると主張する。

そこで、右主張についてみるに、被告人乙には、前記のとおり被告人甲のような弱味は一切存しないのであり、検察官が主張する(1)ないし(3)の点も、被告人乙固有の動機というよりは、被告人甲の動機を被告人乙も共有するという性質のものであることに注目する必要がある。そして、別紙4記載の各金員の支出が、F2社長の明示の承諾はなかったとはいえ、F2社長等國際航業の首脳陣の方針に反するものではなかったことは、先に認定したとおりである。

次に、被告人乙は、公判において、F2社長側が仮処分によって株主総会で勝利を収めたので、株主総会で会社側が負けることを前提としたGらとの関係の断絶も白紙に戻り、同人らとこれまでどおりの関係が復活したと理解したと供述しているところ、当時の國際航業の経営権をめぐる状況は、F2社長側が仮処分によって株主総会こそ乗り切ったものの、これは一時しのぎの勝利に過ぎず、F1会長の寝返りのため、依然としてX側に発行済み株式の過半数を握られている状況に変わりはなく、X側から臨時株主総会を招集されれば負けて経営権を奪われる運命にあったから、F2社長側としては、X側との和解交渉で時間を稼ぎつつ、株式の過半数の支配を回復することを目指していたのであり、株買取り策こそ緊急かつ最優先の課題であった(関係証拠によれば、当時は、浮動株も残り少なかったと認められるから、株式の過半数を制するには、X側から株を買い取るほかなかった)と認められる。このように、株主総会後は、長期持久戦によってX側と対決することも可能であった時期と、情勢は一変していたということができ、そうであるからこそ、⑳のとおり、F2社長やJ副社長もそれぞれ株買取りに向けて努力したのである。したがって、被告人乙らの株買取り工作は、まさに会社首脳陣の意図に沿うものであったということができる。検察官が主張するような、被告人甲の取締役復帰の待望であるとか、F2社長等からの責任追及の回避といったことは、F2社長側が株式の過半数を回復した後の問題であり、そのようなことがありうるとしても(特に、(1)については、前記のとおり、同年五月の時点で問題とならなかったのであるから、その後に蒸し返されるとは考えられない)、それが被告人乙が金員の支出を決断した動機になっているとは考えにくいといわざるをえない。

また、検察官の(3)の主張も、被告人両名が運命共同体であるという前提に立った議論であると思われるが、右運命共同体の主張が事実の裏付けを欠くことは、前記七5のとおりである。

3  被告人乙の関係につき、若干付言する。

第一に、別紙4の2及び3の各金員の支出は、前記のとおり、GがX側の保有する株式を武富士に買い取らせようとしていたので、これを阻止するため行ったことが明らかである。Xに代わるとはいえ、サラ金業者が國際航業の大株主になると、官公需を主体とする同社にとってやはりイメージダウンであり、受注の減少等をもたらしかねないと判断したという被告人乙の供述は、首肯することができる(前記四1参照)。したがって、各金員についても、被告人乙は、自己保身のためではなく、会社のためにする意思で支出したと認められる。

第二に、別紙4記載の各金員の支出についても、それぞれの額が五〇〇〇万円ないし一億三〇〇〇万円という多額に上るものであり、被告人乙が、F2社長はもとより当時の上司であるO経理部長等の承諾を得ていないことも事実である。しかし、被告人乙とすれば、公判で供述するように、F2社長に対しては、既に被告人甲が包括的承諾を得ており、F2社長側が株主総会で勝ったので、Gらとの関係も従前どおり復活し、支出についての承諾も元に戻ったと理解していたのであり、O経理部長については、F1会長の推薦で経理部長に就任した人物であり、同人を通じて情報がX側に筒抜けになる心配があったので、X側に対する裏工作の支出の相談はできなかったと認められる。

もっとも、そうした事情はあったにせよ、被告人乙としては、支出の額からして、F2社長の承諾を得ておいた方がよかったことは間違いないところである。しかし、被告人乙とすれば、株買取りの必要性はますます高まる一方、支出についてのF2社長の承諾も元に戻ったと理解していたのであるから、新たにF2社長の承諾を得ずにGらに金員を支出したことにも無理からぬ面があるというべきである。

4  結局、別紙4記載の各金員の支出は、被告人乙としては、F2社長側が株式の過半数を回復し、かつ、サラ金業者の武富士に株式が渡るのを阻止するという、まさに会社のためにする意思でこれを行ったと認められる。

5  別紙4記載の各金員の支出については、前記公訴事実のとおり訴因のままであれば、被告人乙に不法領得の意思が認められない以上、占有者としての身分を有しない被告人甲の不法領得の意思を問題とするまでもなく、被告人両名に業務上横領罪は成立しないことになるのであるが、事案の性質にかんがみ、この点についても検討を加えておく。

検察官は、被告人甲が國際航業の取締役を解任された後も、被告人乙と共同してGらへの金員の支出を続けたのは、東京国税局の査察の前後を通じて、(1)X問題が解決した後、F2社長等から民事、刑事の責任を追及される恐れがあったこと、(2)X問題を解決することにより、F2社長らに功績を認めてもらい、取締役に復帰しようと考えていたことによるものであると主張する。

しかしながら、被告人甲は、⑭及び⑯のとおり、取締役辞任を登記された後、F2社長から当分の間東洋リースに出社するよう指示された上、F2社長側が仮処分によって株主総会で勝利した後には、東洋リース代表取締役就任予定に発令されている。これは、被告人甲が公判で供述し、F2社長が検察官調書(甲73)で認めるように、X側と対決するために、引き続き國際航業のためにX問題の処理に当たってもらいたいというF2社長の意向の現われであったと認められる。そして、前述のとおり、F1会長の寝返りの後は、F2社長側としては株式の過半数を回復することが緊急かつ最優先の課題であったから、被告人甲としても、F2社長の意向を体して、こうした状況に応じてX側から株を買い取るため、被告人乙が別紙4記載の各金員を支出することに協力したものと認められる。また、被告人甲は、東京国税局の査察を受けた後は、関連会社の役職も辞任し、國際航業との関係も切れた状態になったのであるが、同被告人の公判供述によれば、F2社長やI専務は、被告人甲が査察を受けたことに対して同情的であり、株問題で引き続き同被告人の力を頼りにしていたことから、被告人甲も被告人乙に協力を続けていたことが認められる。これによれば、被告人甲が別紙4記載の各金員の支出に協力したのは、被告人乙と同様、まさに國際航業のためであったと認められる。検察官の主張する前記(1)及び(2)の点は、F2社長側が株式の過半数を回復した後の問題であることなどについて、既に被告人乙の関係で説明したとおりであり(なお、(2)については、国税局の査察やインサイダー取引の関係で、被告人甲が國際航業の取締役に復帰できる見込みはなかったといっても過言ではない)、被告人甲が弱味を抱えていたことによって、この点の判断が異なってくる理由はない。

九  本件における証拠をめぐる問題点

本件においては、被告人両名の検察官調書をはじめとして、一見したところ被告人両名の有罪認定の方向に働く証拠が数多く存するところである。しかし、その殆どが重要な点において信用できないことは、既に個別にみたとおりである。以下においては、それらの主要なものについて、概括的にその信用性についての説明を付加する。

1  被告人甲の検察官調書

被告人甲の検察官調書は、概ね検察官の主張に沿って公訴事実を認めた内容となっている。被告人甲に対しては、供述の任意性はもとより、その信用性に重大な影響を及ぼすような不当な取調べが行われたという形跡は認められない。また、被告人甲は、捜査段階から弁護人を選任しており、その助言を受けていたことが認められる。このため、被告人甲は、検察官の取調べにおいても、全く検察官の言いなりになっていたわけではなく、ある程度自己の主張を通しており、このために、検察官調書には折衷的表現も見受けられる。例えば、Dから國際航業株二三〇万株の代金六九億円の融資を申し入れられた件は、X側による株の買占め問題落着に向かう糸口になるという点においても、自分の弱点が暴露されて会社内で失脚する危険を減少させるものであり、個人的に都合が良かったばかりでなく、会社にとっても非常に有難い話であったという供述(乙40)が、その一例である。しかし、この例においても、会社にとっても有難い話であれば、会社のために交渉を行ったとなるのが自然であると思われるのに、そのようにならなかったのは、検察官が「長期持久戦」や「被告人甲の裏切り」といったストーリーに合わせるように理詰めの取調べを行った結果ではないかと窺われるのである。

また、被告人甲の検察官調書(乙42)には、⑧のとおりGらに三〇〇〇万円を支出することに関し、被告人乙との間で以下のような会話があったという記載がある。すなわち、被告人乙が「先方に言われるまま、金を出しても大丈夫ですかね」と言ったので、自分は、三〇〇〇万円もの大金を出すことに到底社内の了解が得られるはずがなく、機密費の中からそうした支出が許されないことは十分承知していたので、「大丈夫だ。金のことなら、うまく行けば、後でなんとでも処理できる。それよりも、もたもたしてせっかくのチャンスを逃すわけには行かない。だから、金を出すことは当分、他の人には秘密にしておいてくれ」と口止めをしたところ、被告人乙も、「そうですね、この問題については、総務は当てになりませんから、とにかく我々の力で何とかするしかないですよね。これで負けたら、元も子もないですよ」と言ってくれ、会社の長期持久戦の方針に反して右の金員を出すことを了解してくれたというのである。このうち、被告人乙が「総務は当てになりませんから、我々の力で何とかするしかないですよね」などと言ったという点は、被告人甲も公判において事実と認めているが、その余の点についてみると、経理部長の被告人甲に三〇〇〇万円程度の機密費の支出が許されないというのは、前記五2の認定に照らすと事実とは認められないから、被告人乙に口止めをする必要性もなかったはずである。したがって、これに関する会話の部分は、いかにも迫真性があるかのようであるが、詰まるところ検察官の作文ではないかとの疑いを否定できない。

このほかに、被告人甲は、同じ検察官調書において、前記六2のとおり、Gらとの間で経費及び成功報酬について合意に達した後ほどなく、F2社長に会いGらに活動を依頼したことを報告した際、経費及び成功報酬の額やこれをX側からの買取り価格の中に上乗せすることを伝えなかったことを、理由をあげて説明しているが、この理由なども、被告人甲本人が自ら語ったとはみがたいものであって、理詰めの取調べの跡を看取することができる。また、同様の取調べの跡は、検察官調書(乙44)におけるF2社長とI専務をGらに引き合わせたことに関する供述(前記六4参照)にもみることができる。

もっとも、本件のような複雑な事案については、検察官としては、限られた時間の中で速かに関係証拠を検討し、どういう被疑事実で誰を被疑者にするかを決め、被疑者や関係者の取調べにあたらなければならないところ、その過程において、仮説として種々のストーリーを想定するのは当然のことである。本件においては、後記のような被告人甲のU宛て書簡も証拠として収集されていた上、被告人甲自身も当初はXの意図を見抜けないまま、同人にひそかに協力してしまい、Dから不明朗な分配金を受け取って、返還できないままこれを脱税したという事実があったのであるから、検察官が当初これらをもとに右のようなストーリーを思い描いたこと自体は、それなりに理解できるところであるし、被告人甲が右のような弱味を抱えており、脱税の事実自体は弁解の余地のないものであったため、検察官の取調べに抗し切れず、このようなストーリーに合わせる供述をしてしまったとも考えられる。また、後述のような事情が重なり、F2社長、I専務、J副社長らが程度の差はあれ、比較的早期にこのようなストーリーに合わせるような受け答えをしたのも、不幸なことであった。しかしながら、検察官において、前記四のとおり、國際航業社内の資料や同社内外の状況を冷静に検討していたならば、長期持久戦というこのストーリーの出発点に無理があることに気付きえたと思われる。そして、検察官がこのようなストーリーにこだわる余り、その後の取調べを進める過程において、右のストーリーにそぐわない事実を軽視ないし無視したり、右のストーリーと辻つまを合わせるため、理詰めの取調べを行ったと窺われるのは、遺憾といわざるをえない。

2  被告人甲のU宛て書簡

検察官は、被告人甲のU宛て書簡が、同被告人の心情を吐露したものとして極めて信用性が高く、これによれば、同被告人が経営権奪取に向けてX側に協力することを約束し、X側と会社側との二股をかけていたと認められると主張する。確かに、右書簡は、その性質上被告人甲の本心が相当程度吐露されていると考えられ、これによれば、同被告人が当初X側に協力して國際航業の経営権を掌握しようという野望を抱き(昭和六二年七月ころの同女宛て書簡)、その後会社側とX側との板挟みにあって苦しんでいた(同年一一月一〇日付けの同女宛ての書簡)かのようである。しかし、前記七2のとおり、被告人甲は、同年七月下旬ころXの共同経営構想を聞かされたころに既に、Xが國際航業を食い物にするのではないかと危惧して同人から心が離れ、会社側に立って防戦買いに努めたのであるが、この間の心境の変化は同女宛て書簡には現われていないし、被告人甲が会社側とX側との板挟みにあって苦しんでいるという趣旨の書簡が書かれた同年一一月当時は、前記のとおり、既に同被告人が会社のためにX問題の処理していた時期であり、X側の便宜を図った行動も見られないのである。この書簡について、被告人甲は、公判において、Uに対し男としていい格好をしようと思って誇張して書いたものであると供述するところ、この供述にも誇張が窺え、そのまま信用することはできないとしても、右書簡に格好をつけようとした部分があることは否定しがたいと思われる。

このように、U宛て書簡の証拠価値には限度があり、これを過大に評価することは適当でないというべきである。

3  F2社長、I専務、J副社長の検察官調書

F2社長、I専務、J副社長といった國際航業の首脳陣の検察官調書は、おしなべて、被告人両名の本件各支出は、自分たちが承諾したことではなく、被告人両名が独断で行ったことであるという内容になっている。これら三名の者、中でもF2社長とI専務は、いずれも自分が本件各支出を承諾したとなると、本件各金員の支出について自らが特別背任等として刑事責任を追及されかねない立場であったことに注意する必要がある(現に、F2社長は、業務上横領の被疑者として取り調べられている)。しかも、これらの者は、前記のとおり、本件当時被告人甲に全幅の信頼を寄せ、X問題の解決を委ねてきただけに、同被告人が当初ひそかにX側に協力したことやDから巨額の不明朗な金を受け取ったことを知り、同被告人に裏切られたとの気持ちを強く抱いたとしても不思議ではない。したがって、これら三名に、被告人両名(殊に被告人甲)に刑責を押し付けて自らが追及されることを避けようとする動機が存したことは、明らかであり、これらの者が検察官の取調べにおいて、検察官に迎合して、早々に長期持久戦等のストーリーに乗る受け答えをしたであろうことは、想像に難くない。

さらに、被告人両名の公判供述によれば、國際航業の首脳陣には、従来から責任をもって事に当たろうとする姿勢が欠けており、このことは、特にF2社長とI専務において顕著であったとのことであるし、J副社長にしても、もともと株問題が所管外であったとはいえ、そのことを口実に責任を回避する姿勢があったようである。これらの者の証言をみても、F2社長においては、責任回避の態度が顕著であり、I専務も、F2社長ほどではないにしても、やはり同様の傾向が見受けられる。I専務が、公判で、本件各金員の支出への自らの関与自体は否定しながらも、被告人両名はむしろ被害者であり、Gらに騙されたと思っていると証言しているのは、自分たちが責任追及を免れる一方、被告人両名が訴追されていることに対する自責の念の現われともみることができる。また、被告人両名に対する同情的なニュアンスは、I専務に限らず、J副社長やF2社長の証言からも看取できるところである。これらの者の検察官調書と証言を比較するに当たっては、捜査段階では自身の刑事責任を問題にされる心配がより強かったこと、証言当時これらの者において被告人両名をかばわなければならないような事情も存しなかったことを考慮に入れる必要があり、全体として証言の方が信用性が高いとみるのが相当である。

4  被告人乙の検察官調書

被告人乙の検察官調書は、検察官の主張に沿って公訴事実を認めた内容となっている。被告人乙に対しては、逮捕勾留に先行して在宅での長期間の取調べが行われており、これについては、調書が作成されていないものの、検察官の求めに応じて関係資料等を持参する一方、取調べの都度その経過をメモにして会社の上司に報告していたことが認められる。そのメモ等によれば、被告人乙の在宅取調べ当時の供述は、客観的事実に関する限り、検察官調書の内容と殆ど一致しているが、事実に対する評価等の主観面では検察官調書と著しく異り、犯意(不法領得の意思)を否認し、検察官の質問に対して一定の反論、弁解を試みていたことが窺われる。

他方、被告人乙の検察官調書を通覧して特徴的なのは、自白調書でありながら、自白するに至った動機が全く記載されていないことである。それとともに、この検察官調書には、被害額が一〇億円を超える重大な財産犯の自白でありながら、通常の自白調書であれば当然見られる犯行についての反省や、被害弁償の意思、見込み等の記載が全く存しない。このように、被告人乙は、検察官調書において、心情も吐露しておらず、反省もしないまま、犯行のみを淡々と述べているのであって、自白として極めて異例かつ不自然なものとなっている。これらの点は、被告人乙が公判で、「会社のためを思って、甲の指示どおり動いたので、それほど悪いことをしたとは思っていなかったから、反省しているとは述べていない」とか、「検察官調書の内容は、検察官が作ってきたものにサインしただけである」とか、「検察官調書には一字一句たりとも訂正を申し入れなかった」などと供述するところと符合している。

このような信用性のない供述が録取された原因としては、被告人甲と同様、検察官が一定のストーリーに合わせるように取調べを行ったということのほかに、被告人乙の体調不良も一因と考えられる。被告人乙が勾留中体調を崩していたことは、同被告人が保釈後直ちに糖尿病で入院したことからも明らかであり、同被告人が公判で供述するように、体調不良のため一日も早く釈放されたいという心境から、検察官のいうがままの調書の作成に応じて行ったという状況も窺える。また、國際航業においては受注等の裏金工作の際に、会社の首脳陣に累が及ばないようにするため、首脳陣には裏金工作等を知らせないまま、それ以下の営業部長や経理部長限りで処理するという慣行が出来ていたことは、前記六5で認定したとおりであるが、本件検察官調書が作成された背景には、自分が一種の安全弁として罪を被ることにより、会社の首脳陣に累が及ぶのを避けたいという配慮もあったと考えられる。

なお、被告人乙は、公判係属中の平成五年一〇月から、國際航業の関連会社である國際測量の財務部長の要職に迎えられているが、このことは、現在の國際航業においても、同被告人の本件行為が会社のためにした行為と評価されていることを推認させる事実として、注目すべきである。

5  被告人乙の第一回公判における認否

被告人乙は、第一回公判の認否においても、公訴事実を認めている。しかし、この認否において、被告人乙は、公訴事実を概括的に認めると述べたに過ぎず、前記のような自白の不自然さを解消するような新たな供述はしていない。かえって、被告人乙は、取調べ中に検察官から、早く保釈してもらって情状を良くするために、被告人甲と分離して早く進めてもらったらいいという忠告を受け、これをすっかり信用し、体調を崩していたので、早く保釈で出たいという気持ちから、第一回公判において事実を認めたと供述する。早期保釈を願って真意に反する認否をし、保釈後これを翻すというのは遺憾なことであるが、被告人乙が体調を崩していたことは、前記のとおりであって、その第一回公判における概括的自白にさしたる証拠価値を認めることはできない。

一〇  結語

1 本件において、別紙3の1及び2の各金員の支出については、そもそも被告人甲に支出の一般的権限があったと認められ、また、別紙3の3以降の各金員の支出については、F2社長の包括的承諾があり、被告人甲に具体的支出権限が与えられていたと認められるから、これらの支出に関し、同被告人に権限逸脱の領得行為はなかったということができる。被告人甲の指示に従った被告人乙についても同様のことがいえる。また、別紙3の記載の各金員の支出は、被告人両名が専ら委託者本人である國際航業のために行ったものと認められるから、不法領得の意思を欠く(前記二4参照)という面からも、被告人両名に業務上横領罪の成立は認められない。

2 別紙4記載の各金員の支出については、F2社長の明示の承諾はなく、被告人乙に支出権限はあったとは認められないものの、同被告人が専ら委託者本人である國際航業のために行ったものと認められるから、同様に同被告人には不法領得の意思が欠けており、業務上横領罪の成立は認められない。占有者の身分を有する被告人乙に犯罪が成立しない以上、これに加功したとされる被告人甲に業務上横領罪の共同正犯が成立する余地はない(なお、被告人甲についても、専ら國際航業のためにする意思で各金員の支出に関与したものと認められる)。

3  右の結論につき、若干説明を補足する。

まず、一般に、会社の役員又は従業員が会社のために行った行為が、その役員又は従業員個人にもその地位の保全、昇進等の間接的反射的利益をもたらすということは、通常ありうることであって、役員又は従業員に間接的反射的利益が及ぶことがあっても、そのことのために右の行為が自己の利益を図ったものとみるのは相当でない。本件においても、被告人両名が國際航業のために行った各金員の支出行為が、間接的反射的に被告人両名の現在の地位の保全といった個人的利益をもたらしうるものであったとしても、そのことは、右支出行為を専ら本人のために行ったと認めることの妨げにはならない。検察官は、被告人甲のX側及びF一族側に対する二重の裏切りの事実こそ、被告人甲ひいては被告人乙の本件犯行の動機を形成するものであるとして、これを非常に重視している。この裏切りの有無の点は、國際航業における長期持久戦の方針の確立の有無や被告人両名の支出権限の有無の点ほどの重要性を持たないことは、右に述べたところから明らかというべきであろう。

次に、会社の役員等が会社の金員を会社のために支出した場合であっても、その支出が贈賄等の違法な目的を有するときや禁令の趣旨に明らかに違反してなされたときには、不法領得の意思がないとはいえないとして、横領罪の成立を認める見解も存するところである。しかし、会社の役員等の右のような行為は、贈賄罪で罰せられるなど、他の法条には触れるであろうが、委託関係の保護を目的とする横領罪の本質にかんがみ、同罪には該当しないと解すべきである(会社の役員が官営工事の自社に対する受注を確保する目的で公務員に会社の裏金から贈賄した事例につき、贈賄罪に加えて、業務上横領罪の訴追は一般になされていないと思われる)。

また、仮に、右のような行為につき横領罪が成立する余地を認めるとしても、支出目的等の違法性が小さい場合にはその違法性の故に不法領得の意思があると解すべきではない。これを本件についてみると、被告人両名のGらに対する各金員の支出は、基本的には、⑧及び⑨のとおり、X側からその保有する國際航業株を買い取るため、怪文書を流して同人の信用を失墜させたり、政治家からXの取引銀行に圧力をかけさせて、同人を資金的に窮地に追い込み、國際航業株を投げ出させるという工作のためのものであり(別紙3の1ないし3)、その後、その趣旨がXに協力している暴力団への工作資金となったり(別紙3の4)、Eを取り込むための工作資金(別紙3の5及び6)、地産ルートでの工作資金(別紙4の1)、武富士を下ろすための工作資金(別紙4の2及び3)と変わってきてはいるが、いずれにしても一種の裏工作資金としての性質を有している。このうち、X側からの株式の買取りという点は、商法の禁じる自己株式の取得(二一〇条)に触れる行為であるから、これに向けられた支出の違法性も問題となりうるところであり、また、Gらの裏工作も、X等に対する名誉毀損や侮辱等の行為を伴う可能性のあるものである。しかし、Xのような人物に株を買い占められた場合、通常の会社経営者であれば、株買取りが商法に触れるおそれがあるからといって、拱手傍観はしないであろうと思われるし、前記四2のとおり、右のような買占め状態が会社に有形無形の損害をもたらすものである以上、F2社長らの國際航業経営陣がX側から株式を買い取ろうとするのは、単なる経営者の自己保身というべきではなく、損害の発生を避けるためのやむをえない対応であったと思われる。次に、X側に融資しないように銀行に圧力をかけさせるということにしても、直ちに犯罪に結び付くようなものではない。確かに、GやHは、いわゆる事件屋と思われる胡散臭い人物ではあったが、前記六5のとおり、紹介者であるLが信頼できる人物であったことに加え、Gが被告人両名を自民党の代議士の事務所や東京証券取引所の売買管理室に案内したほか、警視庁捜査第四課の捜査官を國際航業に来させるなどし、更に、自分たちの工作を仕上げるためにM弁護士を紹介しているのであり、単に違法、不当な行為のみを手掛けていた訳ではなく、全うな手段を織り混ぜていたのである。加えて、被告人甲からみれば、前記七2のとおり、Xは國際航業をよくするどころか、同社を食い物にするおそれのあった人物であり、被告人甲に対しては、⑧、⑩、⑫のとおり、DやEといったX側の人物から直接の脅迫が加えられていた上、内外タイムスに対する暴露記事が掲載されるなど、マスコミを利用した個人攻撃も行われていたのであり、こうした状況下にあって、Gらに裏工作を依頼することは、それほど強く非難すべき行為ではないと思われる。したがって、本件の各金員支出は、その目的において明らかな違法性を帯びたものとはいえない。

4  よって、被告人両名は、本件業務上横領罪の各訴因についていずれも犯罪の証明がないことに帰するから、刑事訴訟法三三六条により、無罪の言渡しをする。

(裁判長裁判官安廣文夫 裁判官朝山芳史 裁判官福島政幸は、退官につき署名押印することができない。裁判長裁判官安廣文夫)

別紙1

別紙2

別紙3

番号

犯行年月日

(昭和・ころ)

場所

相手方

金額

1

六三・二・二

東京都港区元赤坂〈番地略〉

H政治経済研究所

G

H

一、〇〇〇万円

2

六三・二・八

右同

右同

二、〇〇〇万円

3

六三・二・一九

東京都千代田区内幸町一丁目一番一号

株式会社帝国ホテル二、七〇一号室

右同

三億円

4

六三・三・一〇

右同

右同

二億円

5

六三・四・六

東京都千代田区麹町六丁目六番地

太陽神戸銀行麹町支店

G

二億円

6

六三・四・一一

東京都千代田区内幸一丁目一番一号

株式会社帝国ホテル二、七〇一号室

右同

一億六、五〇〇万円

合計八億九、五〇〇万円

別紙4

番号

犯行年月日

(昭和・ころ)

場所

相手方

金額

1

六三・七・一三

東京都千代田区飯田橋一丁目一番一号

ホテルグランドパレス

G

一億三、〇〇〇万円

2

六三・一〇・五

東京都千代田区内幸町一丁目一番一号

株式会社帝国ホテル

HG

五、〇〇〇万円

3

六三・一〇・一八

右同

右同

一億円

合計二億八、〇〇〇万円

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